健康のためなら、死ねる

黄昏が綴る、日々の雑記

私が適応障害・うつ病から職場への正式復帰を決めた理由

私は2023年2月から適応障害うつ病により休職をやむなくされた。

休職期間は8ヵ月に及んだ。

休職7カ月目の終盤から復帰の道筋を探り、勤務先のご厚意でお試し復帰を経て、正式復帰をした。

復帰を決めたのには大きく4つの理由がある。

 

■私自身の心身と能力の状態がある程度は回復したと判断した

■自分自身の発達障害を疑っていたが、その可能性は医療上否定された

■既存の関係性以外の空間、場所があることに気づく

■職場の人間関係については、これ以上の改善のしようがない

 

私自身、休職する前後に体験談を結構読ませていただいて「メンタルを病んで休職するって、そういうものなんやな」と大まかな予備知識を入れていたことは非常に助かった。

その御恩返しを込めて、今回は「私が復職を決断した理由」を紹介する。

 

私自身の心身と能力の状態がある程度は回復したと判断した

もっとも大事なのは私自身のメンタルの状態。

常に誰かのことを気にしたり、その誰かのことであったり、職場のことであったりが常に頭から離れず、怒りや悲しみの感情がずっと続く、というのは正常ではない。

 

自身を振り返ってみれば、3年前の赴任先でパワハラを受けていた頃は事務所内で笑ったことがなかった。2年前からの前任地では、作り笑いこそすれど、寝るまでずっとマイナスの感情しかなかった。飲酒量と体重は増え続けたが、メンタルの状態は悪くなる一方だった。

 

休職から2か月半が過ぎた頃。

休職中に自らに課していた「無理やりでも外に出て日光を浴びること」をやっていた時の事だった。特に色々と考えるでもなく、ルーティンとして決めたからやっていただけなのだが、ふと、嫌な奴らや職場での事など、気にもしていない自分に気づいた。

 

いい天気だな、と、ぶどうジュースうまいな、しか考えてなかったのだ!

 

それ以降、徐々に状態はよくなってきた。嫌な人や嫌だった事を気にしない時間は長くなり、丸1日思い出さないこともでてきた。

休職期間中は彼ら、彼女らに逢わない、話をしない、職場にもいない、(さらにいえば2月まで通勤していた事務所の前を通らないようにしていた)ので思い出すことも考えることも激減したのだろう。適応障害の治療はストレス要因から物理的に離すことが最重要とされているが、私の場合にも同様だったと思われる。

 

その期間が結果的に8カ月に及んだことで、日頃はもう意識する機会がなくなった。

 

メンタルの話ではなく、能力のほうも休んだことによって故障から回復してきた感じがした。

 

簡単な四則演算や、インプット、アウトプット等の際に、私本来の感覚に戻っているんじゃないか?と認識できる場面が夏以降、時折出てきた。

 

私は仕事ができるほうではないし、生産性もそう高くはないと思っている。

あまりいいことではないが、感情にムラがあり、感情に大きく左右される。すごく進むとき、俺って天才じゃない?ってくらいに冴えているときもあれば、大変申し訳ないが正直一日中エア仕事のときもある。(自分では締切などの期限前に間に合わせていけばいいと思っている)

 

そんな私でも、仕事をするたびに怒鳴られる、怒られる、詰められる、嫌味を言われる、重箱の隅をつつかれる、舌打ちされる…の繰り返しでは、心身が持たない。

振り返ってみれば過去3年間、ずっとまともな環境で仕事はできていなかったと思う。

はっきり言って、異常。

 

この3年間で、仕事が全くできないほどズタズタにされていた私の事務能力が、少し戻ってきているのかもしれない。この手応えは内心では相当嬉しかった。

 

自分自身の発達障害を疑っていたが、その可能性は医療上否定された

今ほど発達障害という言葉がメジャーになっていない頃から、生きにくさを感じることが多かった。

発言の意図を全く違う方向に捉えられたり、謎に悪い印象を与えていたり、そういうことが数知れず。なんで私は人間関係が上手くいかないのだろうかと長年悩んでいた。

 

発達障害の中でもいくつかパターンはある。ADHDだとかASDってどうやって調べればいいのか、どこに行けば調べてもらえるのか、調べても、だからってどうするのか…などでずっとハッキリとはさせてこなかった。

 

ただ漠然と、たぶん何らかの発達障害なのだろうなぁ…と思っていた。

これは休職することになった精神科の担当医にも相談したのだが、受け答えの印象や私の経歴等から発達障害の可能性は全くないと完全否定だった。

発達障害の人はそういうキャリアにはならないという。しかし、現に困っているし自分を疑っていた。

 

今回、休職させていただけた際に、期限が無期限であった。もし仮に、発達障害について白黒つけるならば今しかないと考えた。

 

それで、県下の別の大きな病院の発達障害専門医がいる医療機関を探し、そちらで発達障害であるかどうかの検査をすることとなった。

検査は1か月待ちで、結果が出るのはそこからさらに1ケ月後だった。

検査は筆記や知能、知覚に関するものなどが続き、心理カウンセラーや医師からのヒアリングまで含めて半日弱かかる本格的なものであった。

 

結果は、全方面の能力において、発達障害の可能性は、ほぼ否定。

ヒアリングについても発達障害者特有のものが一切なかったということだった。

 

実際こうして結果が出ると、嬉しいも、嬉しくないも、さほどない。

しいていえばIQが全分野で高めに出たっていうのが強そうで嬉しいという、「小学生かお前は」位のものだ。

何かが解決したりしたわけじゃない。

ただ、発達障害ではない、と。現在の医学では回答が出たことで、心配事が1つ消えた。

 

SUNABACO代表のなかまこさんに言わせると「医学はカテゴライズをするものだから、そりゃ数値化させて分類したら違いました、ってだけのことであって、黄昏は明らかに異形でしょう」とのこと。

 

それを言っちゃおしまいよって感じだが、私もそんな感じに捉えることにした。

医学的には否定、だからそれ要因で仕事ができないという問題になることはない。

だけど、異形。異形であるという自覚はする。

 

既存の関係性以外の空間、場所があることに気づく

家庭、職場、住んでいる地域…この縛りからはなかなか逃れられないものだが、オンライン中心で皆さんと関わるようになって、全く異なる視点や価値観があることをはっきりと認識できるようになった。

 

大変ありがたいことに、2023年は月1回以上、お客様が来られたり、逆に私がどこかに赴いたりすることが続いた。このときには、私がどこの何者か、役職が何か…など全く問われることはない。まして、気持ちが乱れる矮小な人間関係などもない。

有志が有志で集まって好き勝手に楽しんでいたり、頑張っているだけだ。

 

気が付けば、私は物理的に今住んでいる場所、お世話になっている会社、何かと問題が勃発する家族しか視野になかったらしい。

 

私は仕事柄、コンサルタント的、かつ事務屋ってキャリアを積んできた。(割と小馬鹿にされる「私立文系」ってやつだ。)

狭い世界の中では、そういう職場にしがみつくことこそが勝ちで、その中でうまくやれれば勝ち、というだけだった。

ちなみにサラリーマンとしては、順当にステップアップしていく、ということだけ。

 

従来身を置いてきた環境では誰も私自身の価値を見てくれることなど無いに等しかった。

職場でのメンツも権威も地に落ちたような状態で「ここまでカッコ悪くて無価値ならば、死ぬしかない」と思っていた私だが、SUNABACO八代にお伺いした際には逆に激賞してくれたのは本当にびっくりしたし、SUNABACO八代で開催された6月には多くの方々が私を歓迎してくださった。

 

たぶん、この期間に皆さまからいただいた私に対するご厚意、評価のギャップを忘れることはないだろうと思う。

 

例え今の環境で著しく害されようとも、どこかに私を高くかってくれる人がいる。

仮に、また弊社内で何か問題があったり、きついなーってのがあったりした場合には、私は弊社からドロップアウトする(=見限る)という方法があるということが自覚できた。

 

職場の人間関係については、これ以上の改善のしようがない

パワハラによる適応障害、お局さま等とのコミュニケーションがうまくいかないことによる2度の休職、いずれも人間関係、職場環境によるものだった。

 

会社である以上、何らかの業務を担当する。

仕事上、様々な軋轢とてあるだろう。

さらに言えば、わたしがここまで追い込まれたその相手は、まだ皆さんそれぞれの職場に

いる。(1人はパワハラが明るみに出たことで退職を余儀なくされましたけど)

 

弊社の場合

 

・定期的に異動があり

・ゼネラリスト志向もあってジョブローテーションがある

 

つまり、快適な環境で仕事ができることもあるが、全く快適ではないということもありうる。この点については、私ではどうしようもない部分があって、いつまでたっても100%改善されることなどない。

人間関係、環境問題については、これ以上待つのはナンセンスだという判断をした。

 

うつ病による休職から、正式復帰するにあたり主治医の見解を伺う

さて、長々と書いてきたが以上の4点をもって、これ以上の休職療養はあまり意味がないのではないかと考えた。(会社的には)うつ病の診断書を出し、休職を正当化させた以上は復帰に関しても医療機関からOKである文書なり、言質が必要になる

 

主治医に相談すると

 

・休職期間が長くなってきたこと(=ある程度の休養はできた)

・この先はライフサイクルを崩して、うつ病よりそれを立て直すのが難しい方が多くなってくること

・自身で「復職どうかな」と思えるのならば、無理をしないことを条件として復帰を試すのはいいこと

・復帰の意思があり、実際に復帰できる人は、あなたのように会社の人間を連れてくる(今回は人事課の上司が同行してくれた)傾向が強いので、復帰できる率は高い

 

と判断してくれた。

こうして、会社と連絡を取りながら復帰への道を歩み始めた。

 

適応障害うつ病からの休職を経て、職場に正式復帰して、どんな感じか

いま、お試し復帰から1ケ月、正式復帰からは4週目なのだが、相変わらず日中に眠気はある。

身体の機能として、身体と心を休めているんだろうと思われる。

まだ、1日8時間をフルパワーで仕事できるエネルギーはない、ということなのだろう。

 

自律神経がおかしくなっているのだろうな、というのは自分で自覚している。

皮膚が意味不明にヒリヒリしたり、もよくあるので。

 

復帰に際して、医師から復帰から当面は早出残業などのリズムが崩れることを避けてほしいこと、業務負荷の大きなものを割り当てないことを注文されていた。これによって今の私は本当に大した仕事はしていない。

 

「復帰直後は、はじめのうちは通勤することだけで疲労してしまう確率が高く、業務内容も通常の働き方ではなく、雑用や簡単な作業を任せられます。 このようなことから肩身の狭さを感じたり、緊張したりしてしまい、心身ともに疲労が蓄積しやすい状態になってしまうのです。」ネットで調べてみたら、こんなコンテンツを発見した。

まさにこれ。だけど、今は朝起きて、スーツ着て、会社行って、仕事して、帰って、夜寝る、ができたらOKってくらいで自分をジャッジしている。

 

朝起きて、行く場所があるという幸せ。

復帰までに8カ月待ってくれた(社内規定により5月から4カ月はお賃金が大幅減だったが)。

これらは当たり前ではない。特に私のように地方在住の人間にとっては。

 

いま、できること、やっておきたいこと、やるべきこと、に集中していきたいと考えている。