健康のためなら、死ねる

黄昏が綴る、日々の雑記

A MORNING IN THE OSSAN'S LIFE(2024.02.15)

この日、朝は6時過ぎに起きた。

目覚めは5時過ぎだったので、2度寝だ。

 

気圧の変化で?昨日から首筋(リンパ腺)がヒリヒリして痛い。

この痛みを目覚めてすぐに布団の中でチェックしたが相変わらず。

今日も体調は今一つの状態で過ごすことになりそうだ。

 

目が覚めたら、まず最初に体調をチェックするようになってから、どれくらい経つだろうか。

歳を取るっていやーね、ともいえるが、自分で自分の心身の事を把握しようとするのは面白い。

 

起床してから朝ごはんを食べる。

ちょっと前にお弁当用に購入しておいた鮭ほぐし身の瓶詰を空ける。

 

これです、これ

 

 

鮭ほぐし身って、おそらく、市場流通前の端材とか、身くずれした個体からの加工品なんだろうが、これを製品化した人って本当に冴えてるよねと思う。

新たにコストはかからず、味は落ちず、売り物になるのだから。

こういう発想は大事にしたい。

 

息子にも朝ごはんをしっかり食べさせる。

発達障害傾向が強い子なので、完食までちゃんと食べさせるだけでも一苦労する。

 

朝ごはんが終わったらすぐに着替えと、登校の準備をさせる。

気を抜くとすぐにゲームをやるので、先にやることをやらせるようにしてある。

今日は順番が前後しがちだったので、ゲーム機を取り上げておいた。

着替えと登校準備が終わってから、ゲーム機を返す。

彼にとっては、この朝の30分弱のゲーム時間は大きな楽しみの一つになっている。

無下にはできない。

 

そうこうしている間に、私はペットボトルゴミを集める。

今住んでいる地域にはさほど不満はないが、

ペットボトルと不燃ごみは隔週で半月に一度しか出せないのは、そこそこ不便だったりする。

たまりすぎないうちに出すように心掛けている。が、なかなか完全にはうまくいかない。

 

よく忘れてしまうので各月に細かく切ったカレンダーを掲示しておくようにしてある。

行政からくるゴミ出しカレンダーは地域の企業広告等の必要ない情報も多い。

これをそのまま壁に貼ると非常にごちゃごちゃした印象になるので、自分で無駄を排したのだ。

ただ細かくカットするだけのことなんですけどね。

 

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少し話が脱線するが、キッチン周りはパッケージの情報が多すぎてとても混雑する。

元々、それぞれの品がスーパーマーケットの陳列棚で目を引くためのものだから、

そのままだと雑然として疲れる、というのがある。

極力、パッケージを減らして見た目に疲れないようにしたい。

 

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食洗機を回す…その前に、食洗機に入りきれない食器は手動で洗う。

妻が片づけをしないので、私がやる。

それをいちいちムカついたりしない(少しはイラっとするけど笑)

 

今回は2日分をためこんでいたのでまぁまぁな量がある。

それでも夕食は作ってくれているので、良しとする。

 

我が家は「家事は気が付いた方がやる」という緩い仕組みでやってきた。

相手がだらしないことを責めるよりも自分がやったほうが早い。

 

偉そうに言うけれど、私も家事・掃除は非常に苦手なほうだ。

学生時代はなかなかカオスな状況の部屋に住んでいた。

 

これは掃除などもそう。「気が付いた方がやる」制だ。

 

結婚から数年のうちは家事のメインは妻がやるものだと思っていた。

(私もやりはしましたけどね…意識の問題として家のことはあくまでも妻主導だと思ってきた)

 

しかし、結婚生活も数年が経ち、子供が産まれてくると、全ての家事をきちんとやれるとも限らない。

一緒に住んだ当初のような丁寧さなど、ほぼなくなる。

それは悲しくはあるけれど、仕方のないことだ。

生活ってそういうもので、恋愛とは違う。

 

うちの妻についていえば、割とひどい部分もある

(ということは同程度以上に私にもひどい部分がある)。

 

だが、それを相手のせいにして非難するエネルギーがあるならば、自分でやればいい。

自分でやったものについては誰かから文句は言わせない。無論、妻からも。

 

それが正しいかどうかはわからないけれど、独立した精神を持つこと、孤独であることを認識することは、とても大事なことじゃないのかなというのが私の考え方だ。



今日は気温がだいぶ高かったので、原付での通勤にした。

バスや電車を使わずに通勤をすれば、移動時間にスマホを見たり音楽を聴いたりなどはできないが行きも帰りも公共交通機関を待たなくて済む。

 

行きはともかく、帰り路の自由度が爆発的に高いので1つ2つ用を済ませるのにも便利だ。

 

公共交通機関を使わないだけでも、ちょっとあたおかな奴との邂逅もぐっと減る。

しかも、乗り物酔いが基本的にはない。

 

原付に乗るのは2か月ぶりだったが、セル一発始動でいい調子だ。

今日はちょっと前にワークマンplusで買っておいた防寒グッズも試してみた。

 

悪くない。ほぼ、防寒だ。

その中でも靴下の部分とハンドルを握った両腕の裾から冷気が流れ込んでくる。ここをカバーできれば防寒装備はまぁまぁの完成度に近づいているのではないか。

 

地方在住のため、通勤を往復バスで計算すると1日あたりで880円もかかってしまう。

メリット・デメリットの天秤にはなるが、こんな厳しいご時世でもある、原付通勤は自由度とコスパが極めて高い。

 

この分野に少し、力を注いでみるかなと思っている。

 

13年2か月に渡ってしがみついてきた悪霊を除霊した話

季節外れの人事異動内示があり、それによりますと、井村(仮名)が本部から現場事務所へ異動になっていました。

 

いました、と知らんぷり風味に書きましたが、異動になることは知っていました。物理的に同じ事務所にいますからね。大まかにですが、何があったのかくらいは察しがつきます。

 

井村は、これに先立って開催された人事委員会で糾弾されています。

各種ハラスメントに関する問題は年末に調査と処罰の終結が宣言されており、時期的に見て、最後の被糾弾者だったと思われます。

「まさかコイツだけは逃げ切れるのか?」と私は内心思っていたのですが、そうは問屋が卸さなかったようです。

 

お局さまが異動しなかった理由

井村が異動しない理由というのを聞いたことがあります。

「年齢的に他に移ると仕事ができる気がしない、怖いから」ということでした。

正直、ふざけんな、と思いましたね。

暗黙の了解で数年ごとの異動を前提とした立場なのが我々じゃないのかと。

それゆえの、立場、待遇だろうがと。

 

まして、井村は職種統合や人事制度改革、女性機会均等など…であらよあらよとステップアップもしていました。

 

改めて振り返ってみると、私は弊社入社以来3回の異動(と1回の事務所引越し)を経験していますが、井村はその間に一度たりとも部署も席も変わらなかったです。

人事担当者は業務の性格上、確かにあまり動かないけれど、それ以外だと極めて稀なケースで、そんな奴はほぼいないと言ってもいいかと。

いかに異質だったのかということです。

 

一カ所に長くいるから、その業務に「だけ」特化して、詳しい。

詳しすぎて文書の一言一句にまで突っ込みを入れまくることができる。

毎年のスケジュールを完全に把握しているから、マウンティングができる。

しかも、本部勤務なので、社内システム等を使って暗黙の公開処刑すらできる。

そんなことはさすがにやらないのが同じ会社に勤める者としての仁義だと思うが、こいつはそんなのお構いなしでした。

 

誰も文句が言えない。

完全に悪しき聖域と化していました。

 

若手職員を次々と退職させる、クラッシャー

過去に、何人もの若手職員が極めて短い年数で退職しました。

しかも、どういうわけか、気の利いたほうから順に辞めるのです。

仕事とは直接的な関連性はないため、ルッキズムのそしりもあるかもしれませんが、ハッキリ言って美形の子から辞めていきました。

 

私は拠点の事務所にいて「本部の若手職員はほんと短期間で辞めていくよな…」と気になっていました。そんなにさっさと辞めるような業務を若手に担当させるわけがないのですがね。

 

何人辞めたかわからない。例えば、前職で凄い業績を叩き出したという前評判の高かった女性も、ボッロボロで辞めていきました。

振り返ると、酷い状態だったのは本人のせいではなくて、どう考えてもこのお局さまの仕打ちによるものだよなぁ。

 

ある程度の年数、弊社に所属しているうちにわかったのが、本部のその部署には井村という魔物がとぐろを巻いて巣喰っているということでした。

そして、恐らくは、異動の無い一般職員の方々までもが、その取り巻きになるしかない状況があるということを汲んで取れました。

女性同士の社会だから、きっとやりにくいのでしょう。

 

犠牲者の無念は晴らしたかもしれないけれど、もう彼ら彼女らには伝えられない

13年2カ月に渡ってしがみついてきた「悪しき聖域」が遂に糾弾されたのだと私は解釈しています。

 

たまたま、この部署と間接的にやり取りすることが多い立ち位置だったので、ここに配属された若手職員の愚痴や悩みは時折耳に入ってきていました。

 

私は本部勤めではなかったので魔窟に怯える必要はありませんでしたが、拠点から見ていると、こうも続けて未来のエース級が潰されるとなると、人事採用計画もあったもんじゃない、と眉をひそめていました。

 

井村のいる凹凸課に配属されて辛い目にあってきた若手職員の皆さん(やむを得ず退職された方々を含む)の無念が今ようやく晴らされたのだと私は思っています。

 

しかし…かなりの人数をロストしてしましましたね。

一定の割合での退職は折込済とはいえ、だいぶ傷跡は深いと思います。

 

本人の挨拶に潜む、闇

異動の去り際に本人が語った挨拶によると、13年2か月前からしがみついてきたということは、2010年9月からということで。

そうか、9月からの異動だったのね。

 

当時の事など知る由もありませんが、ふだんあまりない期中の異動、何かキナ臭いものを感じました。弊社では特に問題がなければ期中の異動はあまりしないものだからです。

 

色々な人がいて当然ではありますが、本部で最も毒も影もあり、実際に被害者を多数出していたのはコイツでした。

 

かつて、私がパワハラ上司に何かにつけてキツくやられている頃に、社内随所でパワハラやセクハラが常態的に存在するということを知りました。

ハラスメントというものは受け取る側の印象にも多分に左右はされるので、必ずしも絶対そうとは限らないですが、多く名前が挙がることと、エピソードを伺ってきてやっぱりおかしいだろうっていうのとを考えると、私がずっと問題視してきた4人は罰されなくてはならないと思っていました。

 

1人目、2人目はクビになった。

3人目はかなり厳しい文面によって断罪された(もはや次はないぞ、という勢いの文書だった)。

この間ずっと目立った処分もなされていない4人目こそが、このおばさんでした。

13年2か月の因果応報で、左遷。ちょっと甘いような気はしますが、やはり恩讐は巡り廻るのです。

 

本部に巣喰う魔物は一掃された、が

こうして「問題があるよな~」と思っていた職員は飛ばされていった。

これで、全て解決だ…が。

人は必要悪含んで派閥、徒党を組む。

女性比率の圧倒的に高い職場なので、色々あるんだろうなというのは大概想像がつきます。

 

確かに私の挙動を契機として、4人の悪は断罪されました。2人解雇、1人左遷、1人厳重注意。その他も2桁の人間が注意を受けたりしています。

社内的に無傷で済んだものはいないという結末です。

 

しかし、いまこうして無人の荒野にいると、果たして私がやるべきことだったのかどうかはわかりません。

この間に私も、心を病み、長期の休職があり、ろくな仕事もできず、あたら働き盛りの数年間を浪費してしまいました。つまらない話に過ぎないにしても、社内でのある種の階段も踏み外しているし、私が受けている不利益だってそれなりに大きい。

 

そうまでしてドラゴンバスターをやらなきゃならなかったのか?という疑問はぬぐえないでいます。

 

まだ、この一連の討伐がどんな意味を持つのかはわからないけれど、前向いて仕事頑張っていくしかないのかなと考えております。

令和6年度の人事について色々考えたりしたことを書き残しておく

皆さん、人事の話題、好きだよね。

 

回答期限のリミットだった、人事異動についての要望調査と昇進試験受験をお願いするか否か。

考え抜いたけれど、時間切れなので、今思うベターなラインで回答するしかなかった。

その際に算盤はじいたりしたので書き残してみる。

 

なお、身バレ防止のために話の本筋が変わらない程度のフェイクは入れてある。

また、私自身の至って私的なことなので詳細の説明無しでいきなり書く。

わからないところは各々で脳内保管して読んでいただきたい。

 

人事異動希望についての回答

制度改正で激変する人事異動希望については、今の住まい、息子の中高生時代を前提にあまり異動がないコースを選んで申請した。

「異動の多い/少ないが昇進・昇給に影響しない」という制度設計の大前提の文言を信じることにした。

 

いわゆる、趣意書に相当する箇所の内容を抜粋して転記してみる。



長期休職復帰後も定期的に精神科への通院があり、今服薬を減らしていっている段階です。

服薬を完全にゼロにするまでには服薬されていた期間と同じ期間かかるとされているようで、即ち現時点ではあと2年間は減薬に取り組んでいく期間があるという前提で考えておかなければなりません。

定時出勤定時退社の1日勤務、その往復の通勤、体力が戻ってきていないことを痛感します。業務への取りかかりも、まだ随所に精度不足やフットワークの鈍さを実感させられています。

長期休職を経て、今はなんとか普通の顔をして暮らしてはいるものの、まだ*****に赴任して小森修二氏(※パワハラ課長の仮名)から連日パワハラされる前の状態までに回復できたという実感はありません。

かれこれ過去4年度に渡って自身でも納得できるような質量の働き方はできていません。このタイミングでの異動となると、異動先において人間関係を円滑に構築し、会員事業者様のニーズに応えられる業務を遂行できる気がしません。振り返ると、以前は現場復帰を焦って*****で余計におかしくなってしまった。事情をご配慮いただきたいです。



いや、正直言って怖いよ。

総合職で採用された時からずっと、昇進・昇給と引き換えで異動についてはノーガードだったのだから。

(これ後で書くつもりですが)もう5年前、3年前に考え抜いた勝ち筋、勝ちパターンが通用しない時代になってきている。

 

希望制ということはですよ、そりゃ利便性の高い都市部希望が集中するんじゃないの?

集中した中での椅子取りゲームになるし、椅子取りゲームの結果、椅子を確保した奴が昇進&昇給でしょう?

(逆を言えば、あえて僻地勤務だと絶対数が少ないため、椅子取りゲームの倍率は下がるのでは)

これがきっかけで階段を駆け上がるスピードが遅くなる可能性があることを現時点では否定できない。

 

「どうせ出世はしないから」という判断基準

期限ぎりぎりでも決断するに至ることができた理由がある。

「既に私が出世に関してはルートを外れている」からに他ならない。

 

元々中途採用で生え抜きでもない。

弊社の人事制度・風土からいえば、中途採用のおっさんが上に駆け上がっていくことは相当にレアだ。事実上無いといってもいい。

私とて「全て」順調にいったとしても上限は見えているのだ。そしてここ数年間パワハラ等の人間関係に悩み苦しめられてロクに仕事にならなかったことからも明らかなように、そんなにうまく会社員ライフが進むわけがない。

 

悪い話でもなくて、もとから生え抜きだった人たちの立場を考えれば、そりゃそうなるよねっていう部分はある。

いわゆるJTCに勤務するというのはこういう功罪・清濁を併せ吞む中庸性が求められるのだ。

それが時代に合うかどうかでいえば、疑問ではあるが…

 

もし逆転することがあるとしたら、私が何か余程ジャンプアップに相応しいことをやるなりしないといけないのだが、そんなことを前提にした戦略立案は現実的ではない。

仮に。仮にそんなことができたならば…それこそ私はもう会社にはいないんじゃないかな?

 

異動頻度、距離についてコンパクトにした、エリア採用の考え方

人事異動については、異動制度改定でとんでもない距離の異動は原則として無い、ということになった。

これにはいくつかの要因があるのだが、端的に言えば人口減少・人手不足の中で弊社雇用情勢は厳しさを増しており、その打開策として地域定着型の採用に切り替えたということだ。

 

確かに一つの方策ではあるかもしれない。

同じ県内とはいえ、最南端と最北端ではまぁまぁ文化も人柄も異なる。

「そのどこに配属されるかわかりません」よりは、ある程度勤務地が絞られた方が求職者も志願しやすいだろう。

 

なお、個人的な考えとしては

自身の経験上、どうせ異動はするんだし、きょうび国外勤務で転勤する人だってザラにいるのだから(海外配属になったきり、日本に帰ってこない(帰ってきたくない?)同級生がいるくらい)正直、気にすんなレベルではある。

 

制度は変わるかもしれないが、自信への影響は少ないのかもしれない

しかし、注釈に書かれているのだが、

「従来の総合職で広域異動対象者は制度定着までの当面の間、広域異動でご協力いただく」ということだ。

これについて社内Q&Aでは結構集中砲火を浴びていたが、当面ってのは5年~10年のつもりらしい。

職種統合から5年弱、未だ機能しているとは言い難い状況を踏まえると、10年はかかるんじゃないだろうか。

 

ならば、齢50にも差し掛かろうとしている今の私が、これについてあまりこだわる必要はないのかもしれない。

当面とやらを2回も繰り返したら、もう定年退職が見えている。

(もっとも私の世代は多分65~70歳までは現役だろう。60代前半だとまだ老け込む年齢でもない。)

 

いつまで働くのか、働けるのか(働かされるのか)はわからないけれど、どっちにせよ大した期間でもないし、恐らく制度改正後も必要に応じて例外規定があることも容易に想像がつくわけで。

ならばここではそれほど神経質になる必要はないのかもしれないと判断した。

 

ただ、過去の人事異動についてはあまりにも関心がなさすぎて、パワハラ上司やお局さんやクソ生意気な若い女など、割とハズレばかり引かされた。なので、今回は「どこでもいいですよ」という回答はしないことにした。

 

予め嫌なことになりかねない可能性のあるものを徹底排除した希望を出した。

従来は人事の希望調査に関して、ここまでがんじがらめにわがまま言ったことなかったので、今回は許してほしい。

 

昇進に関して

過去数年間、パワハラ被害と人間関係に悩み、長期休職までした程、全然まともな仕事ができていないにもかかわらず「昇進対象者としての条件を満たすから」という理由だけで昇進を希望するかどうかの打診がきた。

内規では対象者だから、ってだけ。

 

お話をお受けするかどうか、相当迷った。

 

今の私が万全な状態には程遠いことなど自覚している。

正式復帰から数カ月は経つけれど、そんなに重要な仕事は手掛けていない。

リハビリ扱いに限りなく近いと思っている。

 

それなのに、内規に沿って昇進させる? 弊社、気は確かですか?

 

最初は断ろうかなと思っていた。

今の私はとてもじゃないけれど昇進に相当する働きと能力ではないと感じたのだ。

 

考えを改めるに至ったポイントが4点ある。

 

1・皆さんの猛反対にあったこと 

この話題、少しだけSNSに書いたのだが、皆さんが仰るには辞退する選択肢がないという。リアルでの親友たちも「考えすぎ、会社がそう評価しているんだから黙って請けとけ。それでも実力が及ばないとかあれば後から謝ればいいだけ」と言ってくれた。

 

2・規程を変えようと思えば変える余地はあったにも関わらず、持ってこられた話だから

これに先立って、パワハラ加害者たちが懲戒免職になっている。

内規では退職金は出ないことになっているのだが、この免職になった面々は一応退職金が出ている。満額って事はさすがに無いだろうなと思うが、それでも、出るはずのない退職金が出ていることは事実だ。

内規というが、内規を厳密に運用するも、例外としての対処をするも、さじ加減な部分があるということだ。

ならば、私に対しても「アイツ、結局ここ数年ロクに働いていないよね」ということで内規に沿わずに例外として昇進を見送ることだって十分できたはずなのだ。

わかっていて、対象にしたんだな、と理解した。

 

3・私とて思うところがなくはなかったこと

私は所詮中途採用の男だ。生え抜きが重宝がられる弊社風土においては、しょせんどこまでいってもアウトローだ。

なので、もとより出世に関してはあまり期待できないという前提があった。

それ以前に、長年非正規雇用が続いていたのをやっとの思いで脱出してきた経緯がある。年収は転職後は非正規雇用時代の倍を超えている。階級を変えてきた歴史があるので、出世といえばもう充分出世したよという気持ちもある。

 

とはいえ、一連のパワハラ被害や人間関係の悩みにより仕事がうまくいかず、仕事が上手くいかない、などの苦難があった。

この間、まともな仕事にならないのだから、人事評価は振るわず、昇給幅は狭められ、当初予定していたような階段の登り方はできなかった。うつ病にもなり休職もすることになった。

この間、同機たちは順当にステップアップしていた。それはイイことだけど、私は足踏みしているだけ。

ならば、その埋め合わせというわけではないものの、出遅れた分くらいは埋め合わせしていただいてもいいじゃないかと思ったのだ。

 

4・なりゆき、というかご縁

一番はこれ。縁があれば役目もくるんじゃない?ってだけで。

 

5年前、3年前に考え抜いたはずの勝ち筋、勝ちパターンが通用しない時代

 

それにしても、人事だの勤務先だので未だこんなに悩んだり苦しんだりしているのは滑稽だ。

 

8年前(正確には転職活動に終止符をうった9年前)、非正規雇用からの脱出を合言葉に転職活動を行い、今の会社へと転職した。

転職したことで社会保障も人並みになり、年収は非正規雇用時代から比較して2倍を超えた。

それでも悩みは尽きないのは、なぜか。

 

それは「大きい企業へ転職して正規雇用に棲息フィールドを変更できれば定年まで生きていける」という戦略そのものが揺らいでいるからだ。

 

転職後だけでも職種統合があり、採用制度も変わった。

長年絶対的権力者であった弊社トップは半ばクーデター気味に選挙になり、現代表に交代した。

パワハラ勢は昨年ついに一斉粛清された。

 

気が付けば、本部の席次もがらりと様変わりしている。

たぶん、今のこの体制だって3年5年経てば大幅に変わっているのだろう。

 

ならば、考え抜くだけ考えて多少強引にでも自分の権益は守るとして、後の展開は神のみぞ知る、という程度でちょうどいいのではないかというのが今の私の考えである。




私が使ってきたガラケーについて振り返る

恐らくは、もう使うことも無いであろう、ガラケー

ただの思い出話でなんの役にも立たないけれど、記録として、残しておく。(以下カッコ内は私の使用年)

 

infobar(2003-2005)

infobar 使っていたのは右のBlack×silverのモデル

 

ケータイは既に一部ではネット接続をするものとして重宝されはじめていたが、まだまだ電話機としての役割の方が大きかった。

仕事関係のお付き合いの兼ね合いで、他キャリアの端末を使うのははばかられる雰囲気はあったのでau端末を選んだ。

 

この頃はau design projectというシリーズの端末がリリースされていて、どれもガラケーとしては斬新なデザインと質感の端末が魅力だった。

ガジェットオタクの俺的には、これ以外に触手が動かなかったというのもある。

 

既にinfobarは旧世代の端末ではあったが、折り畳み式ではない端末で最もビジュアルに優れていたため、こちらを入手した。

 

まだ今ほどガジェットが一般的になる前のことだったので、仕事中に客先でよく「なんですかその斬新なケータイは」と声をかけられた。

 

通話料がものすごく大きくとも割引が利くプランで運用していた。

月額で18,000円程は使っていたと記憶している。

記憶をさかのぼると、2年程使用していたということになる。意外と使用期間は短い。

 

neon(2006-2011)

au neon 使っていたのはwhiteのモデル

型番はW42T東芝製。

infobarがかなりぼろぼろになってきたため、機種変更をすることになった。

ショップを訪問した当日同時刻、まさにそのタイミングでの新機種発表。

完全に一目ぼれ。

 

このスクエアなモノ感が大好きだった

 

毎日使っても全く飽きないデザインと質感。

今ではさほど珍しくもないが、フラットな面に浮かび上がるLED表示。

 

記録をご覧の通り、6年間にわたりこだわって使っていた銘品。

内外装交換を2回やっていた。他の端末を使うつもりも全くなかった。

それくらい、電話機として完成されていたと今でも思う。

 

電話機としての完成度が高かったと今でも思う

 

旧端末の電波が使えなくなる際(2012年7月22日 - 周波数帯の再編により、サービス終了、ならびに利用不可)に、やむを得ず乗り換えることになった。

 

このモデルは、ニューヨークの近代美術館に永久保管されている。

 

x-ray(2015-2019)

X-RAY 私はレッドスケルトンのモデルを愛用した

製造型番はTSX06。これも東芝製。

au design projectシリーズの後継にあたる、iidaブランドの第8弾製品。

neonほどのインパクトはなかったが、LED表示のかっこよさで導入。

neonからの機種変で直ぐに乗り換えたわけではなくて、スマホを1回挟んでいる(IS03)。

 

2015年にbiglobeのポケットwifiでネット接続をするようになったため、これに併せて音声通話専用の端末が必要になった。

この前の機種変更時に買えなかったx-rayに白羽の矢を立てて、状態の良いものを調達。

格安の音声通話プランで使用していた。

 

この頃は格安SIMが出始めた頃で、安価なキャリアのSIMをうまく使うことで通信費を落とすというのが私の周りでも流行していた。

このため、電話だけをガラケーに移して格安SIMでネット接続をさせる体制がしばらく続いた。

 

キャリア変更後からポケットWIFIを使わなくなったこと、x-rayが数年間の使用で痛みが酷くなってきたことから使用をやめた。日本時間を確認するためだけの目的で(置時計として使用)オランダまで持って行ったのはいい思い出。

今思えばスマホにアプリでも入れていけばよかっただけなのに…ガラケー最後の仕事と思って持って行ったんだよね確か。

 

2022年3月31日auキャリアにおける3Gサービスの完全終了・停波により、当機種は全て使用不可となる

 

※番外編 Sony CLIE PEG-NX73V

CLIE PEG-NX73V 今見てもイカしたPIM管理マシンだと思う



2002年から2011年頃までずっと使っていたPDA端末。

主に電話帳とスケジュール管理、メモに使用。まさにPDA

特に2002年~2005年頃までは個別案件が多くてスケジュール管理を外出先でも常時行う必要があったのでガジェットオタクとしての自己満足以上に使える道具として第一線級の主力兵器だった。

 

昔からの付き合いの人の中でもいまだに、この端末のイメージがあるという人もいる。

 

PDAにしては非常に珍しいガンメタリックの仕上げがかっこよくて、わざわざこれを選んで購入した。

 

第一線を退いた後は音楽プレイヤーとしてたまに使ったりしていた。

意外なことに、音はすごくパワーを感じさせてくれた印象。

 

今でも手放したのを本当に惜しく思っていて、もしきれいな個体を見つけたらまた手許に置きたいなと思っている。

私が適応障害・うつ病から職場へ正式復帰した記録・1週目を振り返る

8カ月に渡る精神科通院の病気療養を経て、仕事に正式復帰しました。

正式復帰最初の1週間についての覚書です。

 

試し出勤の効果

既に9月から3週に渡って「お試し出勤」をしてきました。

「少しずつ時間を延ばしながら、出勤してデスクに座ってみる」、という慣らし運転です。

最初は午前中だけ、そこから少しずつ時間を延長して慣らしていきました。

お給料は出ないけれど、出勤退勤のまねごとをするってことです。

オフィスにいる間は仕事に復帰した場合のインプット・アウトプットを想定して、読書やテキストライティングをしていました。

 

私がメンタルを病んで壊れたことは、(いちいち訊いてまわったりはしていませんが)職場の誰もが皆知るところでしょう。そこは大人の対応でやたら触れるでもなく、不自然に避けるでもなく接していただけました。

このおかげで、正式復帰当日も、それまでと同様の時間に、同様のスタイルで出勤ができました。

 

正式復帰後、最初の1週間についての率直な感想

これはもうシンプルに「こんなにきつかったっけ?」だけです。

俺、こんなこと毎週やってたの?って程。

木曜日午後にははっきりとスタミナ切れでモンスターエナジーを投入したくらいです。

 

身体的な疲労感があるし、服装がスーツというのも地味に疲れがあります。

帰宅する頃には疲労感がすごくあるので、帰ったら食事をとって風呂入って寝る、しかできません。

 

感覚的には1日の中で可処分時間がほとんどないなって思います。

朝起きて出発までに1時間30分弱ありますが、朝食とって、身支度して、息子を学校へ行かせる、ので終わります。

(我が家は妻の仕事が朝早いので息子を学校へ行かせるのは私がやることになる)

朝のこの時間帯に食洗機を1回回せるかどうか・ゴミ捨てをできるかどうか、が家事の負担を考えると非常に重要になってきます。

なお、洗濯機を回すと「干すかコインランドリーに行くか」という手間が発生するため、洗濯物は1週間分たまりっぱなしになりました。

 

正式復帰後の出勤・退勤などについて

移動手段はバス・電車なども考慮しましたが原付にしました。

これに際して、原動かすためにオイル交換と自賠責保険の更新を行いました。

移動時間の原付運転も、私自身もう若くはないので用心しながらの運転になります。

この移動時間が45分程かかるのを見越しておく必要があります。

 

ギリギリまで自宅にいるパターンや、絶対に遅れることはない位に早くに出発するパターンなども試しました。

早くに出発するパターンだとオフィスに入る前に15分ほどの隙間時間が作れました。このときは公園で缶コーヒーを飲みましたが、これはかなりリラックス効果が高かったのでなるべくこのパターンでいきたいものです。

 

到着後の10分程は確かに可処分時間ですが、既に事務所入りしているのでフリーダムな時間ではありません。始業時間ギリギリに座るようでは仕事になりませんからね。

 

昼休みをどう有効活用するか

昼休みは1時間。ここは重要になってくるのかなとヒシヒシと感じます。

以前試みたようにカロリーメイト等で「カロリーとの戦い」を繰り広げて勝利するツイートを上げたりしようかなとか検討しています。

食事を摂るだけならば1時間はかからないので、ここに可処分時間を持ちたいと思っています。

 

不夜城のイメージがある本部勤務だが、実態は?

先に述べたように、重要度が高い、とか、負荷の大きな業務をしているわけではないので(それを条件に医師が正式復帰OKをした)定時退社になります。

定時退社は私に限りません。

本部勤務って不夜城のイメージがありますが、今は必ずしもそうではなくて、大半の職員はそれなりのお時間に退勤しています。残業する人の方が少ないです。

残業が悪いということではなく、やはり本部機能としては前日準備が大掛かりなものや期限があるものも多いため、必要に応じて必要な残業をする、というごく当たり前の風土が浸透しています。

 

昨今これだけコンプライアンス重視の姿勢を世の中が見せていますし、不必要にだらだら会社に残るくらいならば決められた定時でしっかり仕事を済ませていくほうが理にかなっていますよね。

 

自宅に戻るまでの間が原付の運転で1時間弱あるので、買い物などはここで済ませることもできます。

 

帰宅後に何かをやれる時間はほとんどない、要改善

帰宅後は1-2時間を確保できます。

しかし、この時間は食事と入浴も含んでの時間です。

短いこの時間をどう有効活用するか、という話になります。

 

この時間が自分にとってのゴールデンタイムになるはずですが…。

自宅に帰宅して、食事や入浴以外の時間をどう活用するか、非常に重要になってくるように思われます。

 

1日勤務を終えると、もう心身が動かないくらい疲労しています。

 

我が家は特性もちの息子に合わせて睡眠時間を前倒しにしています(21時には布団に入り部屋の電気を消す)。

 

疲れと、息子の寝る時間を考えると、まとまった時間の確保には朝しかないなと思案しています。(しかし、私は朝が本当に弱い)

 

いかにフレッシュな状態で時間を確保するか、その確保した貴重な時間をどう使うか、が問われてくるなという感じがします。

 

夜は21時に寝て、朝は6時に起きる(可能ならば5時起きにしたい)。しばらくこれでいくことになりそうです。

 

復帰1週目だから何はともあれ、終日仕事している感が出せれば合格

復帰1週目ですから、とにかくそれなりの格好をして、遅刻なく出勤して、特に用もないなら定時でサッと退社する!これだけできればもう充分じゃない?って思って入りました。

 

あとはメンタルに響くようなトラブルや接触がなければいいなって程度でしたが…

やはり因果なもので、復帰3日目にあるFAXを待っていたら、たまたま衝撃的な文書が別に送られてきて、それを社内で最初に私が受け取ることになってしまって。

なんでこんなトップシークレット級にヤバいFAXを私が最初に見るかな~。

手に負えない爆弾級の文書なので、速攻で管理職にこそっと渡しましたけどね。

 

この日はやはりまぁまぁな心労になってしまいましたが、避けようのない因果まではもう仕方がないですから。

 

ともかく、サラリーマン黄昏、8ヵ月ぶりの出航です!

私が適応障害・うつ病から職場への正式復帰を決めた理由

私は2023年2月から適応障害うつ病により休職をやむなくされた。

休職期間は8ヵ月に及んだ。

休職7カ月目の終盤から復帰の道筋を探り、勤務先のご厚意でお試し復帰を経て、正式復帰をした。

復帰を決めたのには大きく4つの理由がある。

 

■私自身の心身と能力の状態がある程度は回復したと判断した

■自分自身の発達障害を疑っていたが、その可能性は医療上否定された

■既存の関係性以外の空間、場所があることに気づく

■職場の人間関係については、これ以上の改善のしようがない

 

私自身、休職する前後に体験談を結構読ませていただいて「メンタルを病んで休職するって、そういうものなんやな」と大まかな予備知識を入れていたことは非常に助かった。

その御恩返しを込めて、今回は「私が復職を決断した理由」を紹介する。

 

私自身の心身と能力の状態がある程度は回復したと判断した

もっとも大事なのは私自身のメンタルの状態。

常に誰かのことを気にしたり、その誰かのことであったり、職場のことであったりが常に頭から離れず、怒りや悲しみの感情がずっと続く、というのは正常ではない。

 

自身を振り返ってみれば、3年前の赴任先でパワハラを受けていた頃は事務所内で笑ったことがなかった。2年前からの前任地では、作り笑いこそすれど、寝るまでずっとマイナスの感情しかなかった。飲酒量と体重は増え続けたが、メンタルの状態は悪くなる一方だった。

 

休職から2か月半が過ぎた頃。

休職中に自らに課していた「無理やりでも外に出て日光を浴びること」をやっていた時の事だった。特に色々と考えるでもなく、ルーティンとして決めたからやっていただけなのだが、ふと、嫌な奴らや職場での事など、気にもしていない自分に気づいた。

 

いい天気だな、と、ぶどうジュースうまいな、しか考えてなかったのだ!

 

それ以降、徐々に状態はよくなってきた。嫌な人や嫌だった事を気にしない時間は長くなり、丸1日思い出さないこともでてきた。

休職期間中は彼ら、彼女らに逢わない、話をしない、職場にもいない、(さらにいえば2月まで通勤していた事務所の前を通らないようにしていた)ので思い出すことも考えることも激減したのだろう。適応障害の治療はストレス要因から物理的に離すことが最重要とされているが、私の場合にも同様だったと思われる。

 

その期間が結果的に8カ月に及んだことで、日頃はもう意識する機会がなくなった。

 

メンタルの話ではなく、能力のほうも休んだことによって故障から回復してきた感じがした。

 

簡単な四則演算や、インプット、アウトプット等の際に、私本来の感覚に戻っているんじゃないか?と認識できる場面が夏以降、時折出てきた。

 

私は仕事ができるほうではないし、生産性もそう高くはないと思っている。

あまりいいことではないが、感情にムラがあり、感情に大きく左右される。すごく進むとき、俺って天才じゃない?ってくらいに冴えているときもあれば、大変申し訳ないが正直一日中エア仕事のときもある。(自分では締切などの期限前に間に合わせていけばいいと思っている)

 

そんな私でも、仕事をするたびに怒鳴られる、怒られる、詰められる、嫌味を言われる、重箱の隅をつつかれる、舌打ちされる…の繰り返しでは、心身が持たない。

振り返ってみれば過去3年間、ずっとまともな環境で仕事はできていなかったと思う。

はっきり言って、異常。

 

この3年間で、仕事が全くできないほどズタズタにされていた私の事務能力が、少し戻ってきているのかもしれない。この手応えは内心では相当嬉しかった。

 

自分自身の発達障害を疑っていたが、その可能性は医療上否定された

今ほど発達障害という言葉がメジャーになっていない頃から、生きにくさを感じることが多かった。

発言の意図を全く違う方向に捉えられたり、謎に悪い印象を与えていたり、そういうことが数知れず。なんで私は人間関係が上手くいかないのだろうかと長年悩んでいた。

 

発達障害の中でもいくつかパターンはある。ADHDだとかASDってどうやって調べればいいのか、どこに行けば調べてもらえるのか、調べても、だからってどうするのか…などでずっとハッキリとはさせてこなかった。

 

ただ漠然と、たぶん何らかの発達障害なのだろうなぁ…と思っていた。

これは休職することになった精神科の担当医にも相談したのだが、受け答えの印象や私の経歴等から発達障害の可能性は全くないと完全否定だった。

発達障害の人はそういうキャリアにはならないという。しかし、現に困っているし自分を疑っていた。

 

今回、休職させていただけた際に、期限が無期限であった。もし仮に、発達障害について白黒つけるならば今しかないと考えた。

 

それで、県下の別の大きな病院の発達障害専門医がいる医療機関を探し、そちらで発達障害であるかどうかの検査をすることとなった。

検査は1か月待ちで、結果が出るのはそこからさらに1ケ月後だった。

検査は筆記や知能、知覚に関するものなどが続き、心理カウンセラーや医師からのヒアリングまで含めて半日弱かかる本格的なものであった。

 

結果は、全方面の能力において、発達障害の可能性は、ほぼ否定。

ヒアリングについても発達障害者特有のものが一切なかったということだった。

 

実際こうして結果が出ると、嬉しいも、嬉しくないも、さほどない。

しいていえばIQが全分野で高めに出たっていうのが強そうで嬉しいという、「小学生かお前は」位のものだ。

何かが解決したりしたわけじゃない。

ただ、発達障害ではない、と。現在の医学では回答が出たことで、心配事が1つ消えた。

 

SUNABACO代表のなかまこさんに言わせると「医学はカテゴライズをするものだから、そりゃ数値化させて分類したら違いました、ってだけのことであって、黄昏は明らかに異形でしょう」とのこと。

 

それを言っちゃおしまいよって感じだが、私もそんな感じに捉えることにした。

医学的には否定、だからそれ要因で仕事ができないという問題になることはない。

だけど、異形。異形であるという自覚はする。

 

既存の関係性以外の空間、場所があることに気づく

家庭、職場、住んでいる地域…この縛りからはなかなか逃れられないものだが、オンライン中心で皆さんと関わるようになって、全く異なる視点や価値観があることをはっきりと認識できるようになった。

 

大変ありがたいことに、2023年は月1回以上、お客様が来られたり、逆に私がどこかに赴いたりすることが続いた。このときには、私がどこの何者か、役職が何か…など全く問われることはない。まして、気持ちが乱れる矮小な人間関係などもない。

有志が有志で集まって好き勝手に楽しんでいたり、頑張っているだけだ。

 

気が付けば、私は物理的に今住んでいる場所、お世話になっている会社、何かと問題が勃発する家族しか視野になかったらしい。

 

私は仕事柄、コンサルタント的、かつ事務屋ってキャリアを積んできた。(割と小馬鹿にされる「私立文系」ってやつだ。)

狭い世界の中では、そういう職場にしがみつくことこそが勝ちで、その中でうまくやれれば勝ち、というだけだった。

ちなみにサラリーマンとしては、順当にステップアップしていく、ということだけ。

 

従来身を置いてきた環境では誰も私自身の価値を見てくれることなど無いに等しかった。

職場でのメンツも権威も地に落ちたような状態で「ここまでカッコ悪くて無価値ならば、死ぬしかない」と思っていた私だが、SUNABACO八代にお伺いした際には逆に激賞してくれたのは本当にびっくりしたし、SUNABACO八代で開催された6月には多くの方々が私を歓迎してくださった。

 

たぶん、この期間に皆さまからいただいた私に対するご厚意、評価のギャップを忘れることはないだろうと思う。

 

例え今の環境で著しく害されようとも、どこかに私を高くかってくれる人がいる。

仮に、また弊社内で何か問題があったり、きついなーってのがあったりした場合には、私は弊社からドロップアウトする(=見限る)という方法があるということが自覚できた。

 

職場の人間関係については、これ以上の改善のしようがない

パワハラによる適応障害、お局さま等とのコミュニケーションがうまくいかないことによる2度の休職、いずれも人間関係、職場環境によるものだった。

 

会社である以上、何らかの業務を担当する。

仕事上、様々な軋轢とてあるだろう。

さらに言えば、わたしがここまで追い込まれたその相手は、まだ皆さんそれぞれの職場に

いる。(1人はパワハラが明るみに出たことで退職を余儀なくされましたけど)

 

弊社の場合

 

・定期的に異動があり

・ゼネラリスト志向もあってジョブローテーションがある

 

つまり、快適な環境で仕事ができることもあるが、全く快適ではないということもありうる。この点については、私ではどうしようもない部分があって、いつまでたっても100%改善されることなどない。

人間関係、環境問題については、これ以上待つのはナンセンスだという判断をした。

 

うつ病による休職から、正式復帰するにあたり主治医の見解を伺う

さて、長々と書いてきたが以上の4点をもって、これ以上の休職療養はあまり意味がないのではないかと考えた。(会社的には)うつ病の診断書を出し、休職を正当化させた以上は復帰に関しても医療機関からOKである文書なり、言質が必要になる

 

主治医に相談すると

 

・休職期間が長くなってきたこと(=ある程度の休養はできた)

・この先はライフサイクルを崩して、うつ病よりそれを立て直すのが難しい方が多くなってくること

・自身で「復職どうかな」と思えるのならば、無理をしないことを条件として復帰を試すのはいいこと

・復帰の意思があり、実際に復帰できる人は、あなたのように会社の人間を連れてくる(今回は人事課の上司が同行してくれた)傾向が強いので、復帰できる率は高い

 

と判断してくれた。

こうして、会社と連絡を取りながら復帰への道を歩み始めた。

 

適応障害うつ病からの休職を経て、職場に正式復帰して、どんな感じか

いま、お試し復帰から1ケ月、正式復帰からは4週目なのだが、相変わらず日中に眠気はある。

身体の機能として、身体と心を休めているんだろうと思われる。

まだ、1日8時間をフルパワーで仕事できるエネルギーはない、ということなのだろう。

 

自律神経がおかしくなっているのだろうな、というのは自分で自覚している。

皮膚が意味不明にヒリヒリしたり、もよくあるので。

 

復帰に際して、医師から復帰から当面は早出残業などのリズムが崩れることを避けてほしいこと、業務負荷の大きなものを割り当てないことを注文されていた。これによって今の私は本当に大した仕事はしていない。

 

「復帰直後は、はじめのうちは通勤することだけで疲労してしまう確率が高く、業務内容も通常の働き方ではなく、雑用や簡単な作業を任せられます。 このようなことから肩身の狭さを感じたり、緊張したりしてしまい、心身ともに疲労が蓄積しやすい状態になってしまうのです。」ネットで調べてみたら、こんなコンテンツを発見した。

まさにこれ。だけど、今は朝起きて、スーツ着て、会社行って、仕事して、帰って、夜寝る、ができたらOKってくらいで自分をジャッジしている。

 

朝起きて、行く場所があるという幸せ。

復帰までに8カ月待ってくれた(社内規定により5月から4カ月はお賃金が大幅減だったが)。

これらは当たり前ではない。特に私のように地方在住の人間にとっては。

 

いま、できること、やっておきたいこと、やるべきこと、に集中していきたいと考えている。

私が適応障害・うつ病から職場への正式復帰を決めた理由

私は2023年2月から適応障害うつ病により休職をやむなくされた。

休職期間は8ヵ月に及んだ。

休職7カ月目の終盤から復帰の道筋を探り、勤務先のご厚意でお試し復帰を経て、正式復帰をした。

復帰を決めたのには大きく4つの理由がある。

 

■私自身の心身と能力の状態がある程度は回復したと判断した

■自分自身の発達障害を疑っていたが、その可能性は医療上否定された

■既存の関係性以外の空間、場所があることに気づく

■職場の人間関係については、これ以上の改善のしようがない

 

私自身、休職する前後に体験談を結構読ませていただいて「メンタルを病んで休職するって、そういうものなんやな」と大まかな予備知識を入れていたことは非常に助かった。

その御恩返しを込めて、今回は「私が復職を決断した理由」を紹介する。

 

私自身の心身と能力の状態がある程度は回復したと判断した

もっとも大事なのは私自身のメンタルの状態。

常に誰かのことを気にしたり、その誰かのことであったり、職場のことであったりが常に頭から離れず、怒りや悲しみの感情がずっと続く、というのは正常ではない。

 

自身を振り返ってみれば、3年前の赴任先でパワハラを受けていた頃は事務所内で笑ったことがなかった。2年前からの前任地では、作り笑いこそすれど、寝るまでずっとマイナスの感情しかなかった。飲酒量と体重は増え続けたが、メンタルの状態は悪くなる一方だった。

 

休職から2か月半が過ぎた頃。

休職中に自らに課していた「無理やりでも外に出て日光を浴びること」をやっていた時の事だった。特に色々と考えるでもなく、ルーティンとして決めたからやっていただけなのだが、ふと、嫌な奴らや職場での事など、気にもしていない自分に気づいた。

 

いい天気だな、と、ぶどうジュースうまいな、しか考えてなかったのだ!

 

それ以降、徐々に状態はよくなってきた。嫌な人や嫌だった事を気にしない時間は長くなり、丸1日思い出さないこともでてきた。

休職期間中は彼ら、彼女らに逢わない、話をしない、職場にもいない、(さらにいえば2月まで通勤していた事務所の前を通らないようにしていた)ので思い出すことも考えることも激減したのだろう。適応障害の治療はストレス要因から物理的に離すことが最重要とされているが、私の場合にも同様だったと思われる。

 

その期間が結果的に8カ月に及んだことで、日頃はもう意識する機会がなくなった。

 

メンタルの話ではなく、能力のほうも休んだことによって故障から回復してきた感じがした。

 

簡単な四則演算や、インプット、アウトプット等の際に、私本来の感覚に戻っているんじゃないか?と認識できる場面が夏以降、時折出てきた。

 

私は仕事ができるほうではないし、生産性もそう高くはないと思っている。

あまりいいことではないが、感情にムラがあり、感情に大きく左右される。すごく進むとき、俺って天才じゃない?ってくらいに冴えているときもあれば、大変申し訳ないが正直一日中エア仕事のときもある。(自分では締切などの期限前に間に合わせていけばいいと思っている)

 

そんな私でも、仕事をするたびに怒鳴られる、怒られる、詰められる、嫌味を言われる、重箱の隅をつつかれる、舌打ちされる…の繰り返しでは、心身が持たない。

振り返ってみれば過去3年間、ずっとまともな環境で仕事はできていなかったと思う。

はっきり言って、異常。

 

この3年間で、仕事が全くできないほどズタズタにされていた私の事務能力が、少し戻ってきているのかもしれない。この手応えは内心では相当嬉しかった。

 

自分自身の発達障害を疑っていたが、その可能性は医療上否定された

今ほど発達障害という言葉がメジャーになっていない頃から、生きにくさを感じることが多かった。

発言の意図を全く違う方向に捉えられたり、謎に悪い印象を与えていたり、そういうことが数知れず。なんで私は人間関係が上手くいかないのだろうかと長年悩んでいた。

 

発達障害の中でもいくつかパターンはある。ADHDだとかASDってどうやって調べればいいのか、どこに行けば調べてもらえるのか、調べても、だからってどうするのか…などでずっとハッキリとはさせてこなかった。

 

ただ漠然と、たぶん何らかの発達障害なのだろうなぁ…と思っていた。

これは休職することになった精神科の担当医にも相談したのだが、受け答えの印象や私の経歴等から発達障害の可能性は全くないと完全否定だった。

発達障害の人はそういうキャリアにはならないという。しかし、現に困っているし自分を疑っていた。

 

今回、休職させていただけた際に、期限が無期限であった。もし仮に、発達障害について白黒つけるならば今しかないと考えた。

 

それで、県下の別の大きな病院の発達障害専門医がいる医療機関を探し、そちらで発達障害であるかどうかの検査をすることとなった。

検査は1か月待ちで、結果が出るのはそこからさらに1ケ月後だった。

検査は筆記や知能、知覚に関するものなどが続き、心理カウンセラーや医師からのヒアリングまで含めて半日弱かかる本格的なものであった。

 

結果は、全方面の能力において、発達障害の可能性は、ほぼ否定。

ヒアリングについても発達障害者特有のものが一切なかったということだった。

 

実際こうして結果が出ると、嬉しいも、嬉しくないも、さほどない。

しいていえばIQが全分野で高めに出たっていうのが強そうで嬉しいという、「小学生かお前は」位のものだ。

何かが解決したりしたわけじゃない。

ただ、発達障害ではない、と。現在の医学では回答が出たことで、心配事が1つ消えた。

 

SUNABACO代表のなかまこさんに言わせると「医学はカテゴライズをするものだから、そりゃ数値化させて分類したら違いました、ってだけのことであって、黄昏は明らかに異形でしょう」とのこと。

 

それを言っちゃおしまいよって感じだが、私もそんな感じに捉えることにした。

医学的には否定、だからそれ要因で仕事ができないという問題になることはない。

だけど、異形。異形であるという自覚はする。

 

既存の関係性以外の空間、場所があることに気づく

家庭、職場、住んでいる地域…この縛りからはなかなか逃れられないものだが、オンライン中心で皆さんと関わるようになって、全く異なる視点や価値観があることをはっきりと認識できるようになった。

 

大変ありがたいことに、2023年は月1回以上、お客様が来られたり、逆に私がどこかに赴いたりすることが続いた。このときには、私がどこの何者か、役職が何か…など全く問われることはない。まして、気持ちが乱れる矮小な人間関係などもない。

有志が有志で集まって好き勝手に楽しんでいたり、頑張っているだけだ。

 

気が付けば、私は物理的に今住んでいる場所、お世話になっている会社、何かと問題が勃発する家族しか視野になかったらしい。

 

私は仕事柄、コンサルタント的、かつ事務屋ってキャリアを積んできた。(割と小馬鹿にされる「私立文系」ってやつだ。)

狭い世界の中では、そういう職場にしがみつくことこそが勝ちで、その中でうまくやれれば勝ち、というだけだった。

ちなみにサラリーマンとしては、順当にステップアップしていく、ということだけ。

 

従来身を置いてきた環境では誰も私自身の価値を見てくれることなど無いに等しかった。

職場でのメンツも権威も地に落ちたような状態で「ここまでカッコ悪くて無価値ならば、死ぬしかない」と思っていた私だが、SUNABACO八代にお伺いした際には逆に激賞してくれたのは本当にびっくりしたし、SUNABACO八代で開催された6月には多くの方々が私を歓迎してくださった。

 

たぶん、この期間に皆さまからいただいた私に対するご厚意、評価のギャップを忘れることはないだろうと思う。

 

例え今の環境で著しく害されようとも、どこかに私を高くかってくれる人がいる。

仮に、また弊社内で何か問題があったり、きついなーってのがあったりした場合には、私は弊社からドロップアウトする(=見限る)という方法があるということが自覚できた。

 

職場の人間関係については、これ以上の改善のしようがない

パワハラによる適応障害、お局さま等とのコミュニケーションがうまくいかないことによる2度の休職、いずれも人間関係、職場環境によるものだった。

 

会社である以上、何らかの業務を担当する。

仕事上、様々な軋轢とてあるだろう。

さらに言えば、わたしがここまで追い込まれたその相手は、まだ皆さんそれぞれの職場に

いる。(1人はパワハラが明るみに出たことで退職を余儀なくされましたけど)

 

弊社の場合

 

・定期的に異動があり

・ゼネラリスト志向もあってジョブローテーションがある

 

つまり、快適な環境で仕事ができることもあるが、全く快適ではないということもありうる。この点については、私ではどうしようもない部分があって、いつまでたっても100%改善されることなどない。

人間関係、環境問題については、これ以上待つのはナンセンスだという判断をした。

 

うつ病による休職から、正式復帰するにあたり主治医の見解を伺う

さて、長々と書いてきたが以上の4点をもって、これ以上の休職療養はあまり意味がないのではないかと考えた。(会社的には)うつ病の診断書を出し、休職を正当化させた以上は復帰に関しても医療機関からOKである文書なり、言質が必要になる

 

主治医に相談すると

 

・休職期間が長くなってきたこと(=ある程度の休養はできた)

・この先はライフサイクルを崩して、うつ病よりそれを立て直すのが難しい方が多くなってくること

・自身で「復職どうかな」と思えるのならば、無理をしないことを条件として復帰を試すのはいいこと

・復帰の意思があり、実際に復帰できる人は、あなたのように会社の人間を連れてくる(今回は人事課の上司が同行してくれた)傾向が強いので、復帰できる率は高い

 

と判断してくれた。

こうして、会社と連絡を取りながら復帰への道を歩み始めた。

 

適応障害うつ病からの休職を経て、職場に正式復帰して、どんな感じか

いま、お試し復帰から1ケ月、正式復帰からは4週目なのだが、相変わらず日中に眠気はある。

身体の機能として、身体と心を休めているんだろうと思われる。

まだ、1日8時間をフルパワーで仕事できるエネルギーはない、ということなのだろう。

 

自律神経がおかしくなっているのだろうな、というのは自分で自覚している。

皮膚が意味不明にヒリヒリしたり、もよくあるので。

 

復帰に際して、医師から復帰から当面は早出残業などのリズムが崩れることを避けてほしいこと、業務負荷の大きなものを割り当てないことを注文されていた。これによって今の私は本当に大した仕事はしていない。

 

「復帰直後は、はじめのうちは通勤することだけで疲労してしまう確率が高く、業務内容も通常の働き方ではなく、雑用や簡単な作業を任せられます。 このようなことから肩身の狭さを感じたり、緊張したりしてしまい、心身ともに疲労が蓄積しやすい状態になってしまうのです。」ネットで調べてみたら、こんなコンテンツを発見した。

まさにこれ。だけど、今は朝起きて、スーツ着て、会社行って、仕事して、帰って、夜寝る、ができたらOKってくらいで自分をジャッジしている。

 

朝起きて、行く場所があるという幸せ。

復帰までに8カ月待ってくれた(社内規定により5月から4カ月はお賃金が大幅減だったが)。

これらは当たり前ではない。特に私のように地方在住の人間にとっては。

 

いま、できること、やっておきたいこと、やるべきこと、に集中していきたいと考えている。