健康のためなら、死ねる

黄昏が綴る、日々の雑記

自宅内フリーアドレス制宣言

4月下旬から、妻の学習用ワゴンが導入されたり、無印良品で必要なものをいくつか買い揃えた結果、住まいが劇的にきれいに片付いてきた。

 

妻は随分前から自分のデスクスペースでは学習をせず、リビングでやっている。

リビングテーブルの方が天板のスペースが段違いに広いこと、

今使用しているのがMicrosoftのSarfacePro3なので、場所を選ばないことなどが大きいようだ。

 

息子の学習机は別室にあるが、息子はお勉強をする際に学習机を必ずしも使わない

(というか、ほとんど使わない)。

多動の特性があるからか、一旦勉強をするとなれば、どこででもやる。

学習机は事実上「自分のスペースである」というアイコンにしかなっていない。

(それはそれで大事なことなので尊重している)

 

一方の私はどうだろうか。

実はここ半年近く、自分のデスクに座ることはほとんどなかった。

 

仕事のこと等で全く余裕がなく、机上は事実上の物置と化していた。

そして、使う端末といえばノートPC、タブレットスマホなので、

何も「机に座らなければならない」とは限らなかった。

デスクトップPCを使わなければならないような作業をする余力がもはやない、という状態にあった。

 

片付けが急速に進んだ結果、室内の随所が整理整頓されてきた。

それに伴って、リビングテーブルの上に今まで常に存在していた「謎ゾーン」が無くなった。

(「謎ゾーン」とは、小学校からのプリントやTVのリモコン、ポスティングチラシなどがゴチャっと寄せられた家庭内の吹き溜まりのような場所)

 

収納スペース内の徹底整理や不用品の処分などにより、状況が非常に良くなったのだ。

手前味噌だが、休職期間中で私がいわば「専業主夫」のポジションで、

毎日何かしら手を入れられるのは大きいのだろう。

妻との会話で「正直、専業主婦だったら家事もある程度上手く進むよな」って話をしているくらい。

 

こうして、我が家の中がどこもここも再開発された結果、

2023年4月30日に妻より「家庭内フリーアドレス制宣言」が発令されたのである。

 

家庭内フリーアドレス制の弊害

実は私的にはちょっと困ったことも1つだけ発生する。

「家庭内フリーアドレス制宣言」は、ガジェットの小型化・省エネ化を前提としている。

このため、従来、定期的に(かつ衝動的に)導入していたATXフルサイズのPCを設置できないことになる。

 

休職期間中にガジェット関連の環境面については一旦きちんと整理したいと考えていた。

が、休職以降、構想もまとまらぬままに次々とガジェットを買い漁っていたので、

その中にはATXフルサイズのものを準備するつもり?のものも大量に所持していた。

 

「家庭内フリーアドレス制宣言」に従うと、ATXフルサイズのPCなんて、絶対に許されない。

そのため、妻に事情を話し、実はまだ環境面の構想が定まっていない話も相談した。

元ゲーマー(私より重度のゲーム中毒者だった)で、ジサカー(自作PCを作る人)でもあった彼女は次のように述べた。

 

ATXフルサイズでPCを組みたい気持ちはわかる。が、既にガジェットは全て小型化しているし、電気代を抑えるために20Wで契約をしていることもある。ATXフルサイズってことは、またZ800のようなワークステーションを作るつもりだろうからそれは今の住まいではやめてもらいたい」というアンサーを得た。

 

目的のあるものを、環境に合わせて導入する

普通、一般的にはハードウェア、ガジェットの購入は「それを使って便利になる」「それを使って作業が効率化する」などの目的があってのことだろう。

 

仕事面で何かと難しかった半年近く、デスクには座らなかった事実。

M2 Macbook AirVAIO Zでほとんどの作業はどうにかなってしまう事実。

 

男がロマンを感じる、大艦巨砲主義的なマシンはもう無くても生きていけるのだ。

既に今使っているデスクトップ機はmini-itxサイズだ。

どうしてもデスクトップ機だと言うのなら、macminiやthinkcentreなどでも大抵のことはできてしまう。

 

買いたいならば、またいつでも買える。

一旦、家庭内フリーアドレス制が定着するまで、バカでかいPCは飼わない(買わない、の誤字ではない)ことにするよ。

気がつけば、1ヶ月以上ブログを書いていなかった。発達障害の検査、結果、うつ病の休職中の推移など

気がつけば、1ヶ月以上ブログを書いていなかった。

継続することってやはり難しい。

 

ブログ更新していなかった期間、何やっていたのか

4月の今頃といえば、うつの症状が「もしかしたら少しだけ良くなってないか?」と

思う様なことが出てき始めていた頃だ。

 

調子の良し悪しで言えば、決してよくはなかったんだけど

本当に少しづつ、それまでとは異なる変化が出始めていた様な記憶がある。

 

4月26日に、発達障害があるかどうかについて専門医にかかり検査を受けた。

発達障害については自分自身で「その傾向があるのではないか?」というのを

もう随分と前から疑っていた。

とかく、なにかにつけて生きにくいなーと感じる場面が多かったからだ。

その結果は、5月30日に出た。

 

4月後半から5月までは、検査結果を待ちながら日々を休養に充てるという具合だった。

全く生産性のあることはやっていない。

義実家を処分するためにちょこちょこやっていたくらいか。

 

発達障害の検査を受けた結果

それで、結局、私はADHDASDじゃないのか?

結論としては、筆記検査にややADHD傾向が見られるものの、

知能検査ではADHDASDである可能性は極めて低い、というのが医師と心理士の分析だった。

(単純で馬鹿みたいだけど、知能検査の数値がいずれも高めに出たのは、嬉しくはあった)

 

検査全体の結果と、検察中の言動から見ても、おそらく筆記試験のADHD傾向はうつ病の影響とのこと。

 

発達障害の可能性が専門の医療機関で、ほぼ否定されたとなれば、

休職するに至った「仕事が普通にできない状態」はうつ病によるものだったと、ほぼ確定する。

そして、医師の診察結果もそうなった。

発達障害の診断名はつかないし、グレーですらない可能性が高い、と。

 

つまり、今後は「うつ病を治せばいい」という、ルートを歩けば復帰できるという流れになる。

(だったら10年来感じてきた生きにくさの正体はなんだ?っていう疑問は残るが)

 

なお、試しにということでコンサータというADHDのお薬を処方していただいた。

これで不注意や多動がコントロールできれば、更にいいよね、というのが私サイドの本音だった。

 

しかし、夜間の眠りが明らかに浅くなったり、

眠くならなくなるはずの薬なのに日中の過眠は相変わらず、

更に常に偏頭痛がするようになったので、3日目から服用は控えている。

 

毎月1つ2つくらい、新しくやることを決めている

4月に禁酒を始めて、継続できている。

まだ具体的にどこが変わったという自覚はないが、アルコールを一切飲んでいない。

 

で、どうせ休職中だし時間はあるし、ということで無理がない範囲で毎月1つ2つくらい、

新しい試みを始めるようにしている。

 

5月は

スマホの充電を枕元でやらない(睡眠の質改善の試み)

・夕食中に食卓へのスマホ持ち込み禁止(これは家族で)

・思いつきなどを書く、メモ帳を作る(なんだかんだでタスクがちらほら出てきたので)

 

6月は

・読書再開(ようやく少しは読んで頭に入るようになってき始めたので)

・各種勉強開始(少しづつインプットを増やす)

・とにかく記事執筆(これとか、noteとか、特化ブログとかを計画)

 

と、まぁこんな感じだ。

うつ病なので、調子の良い時ばかりではないので、無理はしないって前提で

なんかしら工夫してたりして…という気分を味わうようなノリだ。

 

日中の過眠、睡眠障害が気になる

職場・仕事から離れているし、人と接することも少ないため、感情の起伏が少ない。

穏やかと言えば、穏やかだけど、刺激がないので怒りとかイライラとかの方向に感情が振れにくい。

寝る時間、起きる時間を気にかけていて、そこも割と普通。

残る課題、明らかにおかしいよねって部分は日中の過眠だ。

 

ここの更新を再開しようと思ったわけ

話がすごく飛ぶのだけれど、数日前にかなりの数のフォロワー様と同時に会う機会が有りました。

自分が思っている以上に、ハンドルネーム「黄昏」という存在は

どこか違うところまで逝っちゃっているみたいなのはわかった。

「黄昏さん」が「中の人」とちょっと違うキャラクターになっていた。

 

別にナルシズムとかではないし、誰かの役に立つとも思わないが

「黄昏さん」が日常を書き残したり、わざわざしっかりした記事にまとめるほどのものではない、

そういうものは置いておく場所があってもいいみたいだね、と思い再開することとした。

 

ご覧の通り、日記程度のものですが、お付き合いいただければ嬉しい。

情報過多すぎて言葉がまとまらないことがある

ネットやTwitterで流れてくる情報量に、自身の感情、体調、執筆等が追いついていません。

これに加えて、自分自身の生活もあります。

日々の中で様々なことを思い、感じ、考えます。

そして社会の空気感と比較して、自身の体験がどういうことなのかを俯瞰で捉えようとしたり。

 

インプット量が多すぎて、アウトプットが追いつかないのです。

気にする必要はないと、わかりつつも、焦る。

 

プラットフォームの数だけ、発信がある

SNSも色々あります。

私の場合は今はTwitterの1アカウントだけなのですが

これも複数アカウント運用ならば情報量もアカウントの数だけ増えていきます。

 

さらに、インスタやFacebookもやろうと思えばやれる。

 

TikTokYouTubeなど、動画配信の方向もあります。

 

プラットフォームの数、性質により分けたアカウントの数

情報発信先があります。

 

今、私はこれについていけてません。

書き殴りのこのブログだけでも手一杯になっています。

 

発信にはスピード、タイムリーさが重要だとは思うのだが…

先日起きた、岸田総理の暗殺未遂事件について、

しっかりと推敲した文章を書きたくて今書いているところです。

本来ならば当日書いて出しするべきもの。

 

しかし、勢いで書いていいものではないので、書き上がらなかったのです。

自分のフットワークの重さに呆れるしかありません・

 

可処分時間を奪い合っている

今、誰も彼もが手にスマホを持ち、PCくらいは1人1台はあるでしょう。

年齢職業問わず、皆何らかの形でコミュニケーションをとっています。

度々発掘される炎上動画もアクセス数やPV数を稼ぎたい目的に目が眩んでのことでしょう。

誰もが誰かの可処分時間を欲している時代となりました。

 

オールドメディアとなったTV(地上波)や新聞などは既に絶対王座から転落して久しいです。

ビデオやDVDをレンタルしていた業者は既に大半が滅びつつあり、

最大手のゲオとツタヤくらいしか生き残っていません。

(しかもこの両社とも既に主力分野はレンタル業ではなく、業態変換しています)

 

大変ありがたいことに、私も周囲でも非常に良質な発信が

ブログやnote、セミナーのlive配信やアーカイブの提供など…毎日のようにされています。

Twitterではスペース(音声コミュニティ)が複数重複している状態も珍しくなくなりました。

 

そして、それぞれの良質なコンテンツを、自分の中でしっかり消化して

自分の言葉でロジックを再構築していくサイクルがあるわけです。

 

ところが、自身の可処分時間では、大量の発信・情報を処理できなくなってきています。

 

結局、取捨選択と効率化しかないか…

実は、この数日、ここのブログを書けなかったのは、あまりの情報と出来事の多さ、

それぞれについての論理と自分なりの解釈、それとまた違う域での自身の感情、

これらがうまく固まりませんでした。

 

もちろん、無難などうでもいいことを日記にしてアップしてもよかったのですが

PCに向き合って、タイピングをする気分になれなかった。

 

そんなわけで、今こうして、追いついていないんだよね、っていう話を書いてみました。

みなさんは、そんなことないですか?

うつ病の休職期間中に、初めて「暇」と思った

【今回も、うつ病休職者の日記です】

 

またもや、1日中何もしなかった。

意味もなくネット見たり、眠くなったらそのまま寝たり。

さすがに夕食の材料は買いに近所に出かけたが(1日に1度は外に出るようにしている)

本当に何もしていないし、何も考えていない。

 

で、感情、気持ちの面も、いいでも悪いでもなく。

本当に何もない。

強いていえば家族がTVやYouTube観るのでその音がうるさいな、ってくらい。

(そういえばBluetoothのノイキャンヘッドホンを買わなければならないね。)

 

いつからかTVやYouTubeの音って必要以上にうるさく感じるようになった。

 

つまり、暇ってこと

今日、暇だなぁ、って思った。

暇だったら何かしなよって話なんだが、何かをする元気はない。

だけど、することがない、暇だ。

 

うつ病で休職して、2ヶ月と11日目だが、暇とは思ったことがなかった。

だけど、本を読む気にもならないし、資格試験の勉強ができる感じもしないし

特に趣味らしい趣味もないし、で…暇だな、という具合。

 

こんなに暇ならば、負荷さえ考えてくれれば職場復帰してもいいんじゃないかって脳裏をよぎった。

そもそも、私の休職は人間関係に端を発しているので、それを心配しないでいい環境であれば

私が特に怯えることもないはずなのだ。

 

それでも復帰は時期尚早とは思っている

私は今回の休職は2回目だ。

1回目はパワハラ上司からの理不尽な詰めが厳しくて、だった。

2回目となる今回は、同じ課の人達とうまくやれなかった。

 

だいぶ経過が違うものの、どちらも人間関係。

異動してすぐとか、部署が変わってすぐとか。

 

なので、内心私にも何か問題があるんじゃないかっていう疑いはある。

その最たるものが「発達障害が何かあるんじゃないか」ってことで。

 

長い間(それこそ小学生の頃から)なんだか皆さんとはズレるんだよなぁって思いながらで。

いつの頃か発達障害という言葉を知った頃から自分でも、もしかして…と思いながら生きてきた。

 

人間関係に悩み、苦しむのって実はこの休職2回だけではない。

これまでも、愛想がないだの、対応が失礼だったのと、心外なことを言われて困ったことがある。

「そう取られたら、もう本当に申し訳がない、すいませんでした」って何度も謝ったりした。

謝りながら、「なんのこっちゃ」っていうのは内心思いつつ。

 

話を戻すけど、発達障害の傾向があるかどうかについて、

ある程度しっかりした診察を受けて対処を決めてからでないと復帰は難しいと思う。

発達障害と診断されたらそれはそれで、今までの色々な場面でフィットしなかったことも

納得がいくし、今後仕事の面でとう対策をとるべきかも明らかになる。

 

また、今のところは睡眠薬と精神に働きかける薬を服用しているので、

これがいつまで続くのかっていうのも気にはなる。

服薬が終わるまで休職するべきなのか、服薬しながらでも復帰でいいのか。

 

同じ会社で心療内科的な問題で3回目の休職とか、ちょっと説明が難しくなってくるような気はするので、

今の休職期間中に、できる限りの対策と休養を取っておきたいと考えている。

 

暇なら、暇なりに

暇って思えるくらい、時間があるのだから、

この際、日頃なかなか手がつけられない部分を全部やってしまおう。

 

っていうのは、休職した当初からうっすらとは思っていたんだけど

(休職当初はそろそろ死ぬしかないとか、ばかり考えてたけど)

 

暇って感覚は、果たしていつぶりだろうか?

少なくとも、子供生まれてから以降(約8年)は、暇と思ったことはないはず。

 

今から寝るけれど、明日も同じように「暇」という状態ができるかもしれない。

振り返れば私にとっては、貴重な感覚だから、「暇」じゃないとできないようなことを

手がけてみる、そんな日々になっても面白いかもしれない。

 

絵でも描いてみるかな。

まだ全然、復調はしていないけれど、復帰してもいいかなって思ったことなど

【今回も、うつ病休職者の日記です】

 

今日も終日、調子が良くなかったようで、ほぼ、寝ていた。

眠れないで辛いのよりはマシかもしれないが、ほとんどの時間を寝ているなんて

自分でもどうかしてるなというのはわかる。

 

睡眠のサイクルがある程度整ってくれないと、復帰が難しい。

 

その僅かに起きていた時間に妻と昼食をとり、自分の持ち物を少しだけ整理。

復帰前までには持ち物の整理とデスク環境の整備は済ませたいなというのは

うっすら思っているので、少しづつだけれど、品物を減らしている。

 

メルカリで品物がようやくちらほらと売れ始めたので、

昼食を買いに行くついでにクロネコヤマトの事務所へ行き、発送。

次の発送用の専用ダンボールを数個購入してきた。

 

既に構想外になって、処分する品物はある程度確定しているので

それらを処分する必要がある。

 

ミニマリスト、ではないけれど、ものを減らして楽にしたい

仕事のこと、妻子のこと、自分自身のこと…

色々なことが大変であり1日生きていくだけでも相当難しい。

そんな日々を繰り返しながら1年過ぎ、3年になり、5年になり…

そう考えると、無駄な時間を浪費するわけにはいかない。

 

これと連動して、品物なんて必要なものを極力少なくでいいんじゃない?っていうのも

よく考えるようになった。

有名な話だが、スティーブ・ジョブズが1日の中での選択肢を極力減らすように

着る服は同じものを1週間分揃えていたように、自分が1日24時間を生きていく中では

品物の数は極力少ない方が楽じゃないかなって。

 

趣味品の買い物をした

などと言いながら、完全に趣味寄りのガジェットを1つ導入することにした。

TVに繋ぎっぱなし用のメディアサーバーをどうするかって構想があって、

二転三転していたが、昨夜たまたま見つけてしまったのでかなり安価に調達することになった。

 

何のことはない、適当なPCをHDMIでTVに繋いでラックに置いておくだけ、という話なので

ものは何だってよかったのだ。

どうせなら、自分の好きなもので揃えられるのならば、それに越したことはない。

 

もう、何が辛かったとか、誰が嫌いとかはあまり思い出さない

終日、本当に大したことはしていなくて、ウェルチの葡萄ジュースが今は1日で一番の娯楽。

であれば、もう仕事に復帰してもいいんじゃないかなーっていうのは脳裏をよぎった。

ロジックおかしいけど、そう思ったのだ。

 

今の私は確かに、うつ病の症状が明らかだけど。

既に休職前までに色々あったなっていうことについては、もうあまり思い出さないし、

特定の誰かに対して恨みや怒りもない。

 

原因から離れることで、適応障害は回復するとはいうけれど。

休職して、ALSOK完備の自宅にいる限り、私が痛めつけられることはない。

 

3月末までは間違いなく異動前の事務所に想いが残っていた。

休職に至った無念、悔しさ、そうなった環境、など負の感情が毎日あった。

 

新年度になって既に私の正式な立場はもうそこにはないし、

戻ることもないだろう。

 

まして、社内で私の立ち位置が迷走し始めた、3年前のパワハラ被害。

あれ以来、現地には一度も行っていない。

相変わらず被害者が続出しているのは聞いているが、

もはや私が関わる話でもない。

会社が責任を持って、(追い出し部屋などの隔離をするなど)然るべき処置をするべき話だ。

 

身辺を整えながら、復帰の時を待つ

また取り止めのない話になったけれど、そういえば仕事関係で思い出して悩み苦しむことは

なくなってきたなぁって。

 

自分が考える、これくらいは整理したいなと思っていた部分は整理しながら

身体面でも復帰できそうかなっていうその時を待つ。

持ち物についての、雑感

今日はたまたま、バックやスーツケースの話、メルカリの話題、ハイブランドについて等

持ち物についての話題が多かったので、取り止めなく書いてみる。

 

ブランドに時代の感覚はついてまわってくる

今の若い人からみると、ポーターやTUMIはおじさんのブランドらしい。

ポーターのショルダーバックを使っている私にはちょっとショックな話だけど

わからないでもない。

 

私たちよりも上の世代で、IVYやPINKHOUSEが大流行していた。

当時は子供ながらに「へー、そういうんがあるんや」って思っていた。

 

自分がいざ大学に行く頃には、その辺りはすっかり影を潜めていた。

 

かわりにPaulsmith、BEAMSTRANS CONTINENTSSHIPS、などの

セレクトショップ店舗に人気が移っていた。

女子だとVIVAYOUやLOVEBOATなんかが流行っていた。

 

私はといえば、R.NEWBOLDやAgnes.bが好きだった。

過去形で書いたものの、今も好きではある…が

前者はブランドが既に終息。

後者は元々レディースの比率が高いことと、

シルエットがスリムでないと似合わないので、最近は距離がある(笑)

 

現在隆盛を極めるファストファッションは、とりあえず着るものの扱いでしかなく、

今のように高く評価はされていなかった。

 

という具合にブランドや製造元によって時代ごとの人気って変わってくる。

 

ハイブランドは自分に似合うかどうかで決めている

いわゆる、ハイブランドについては好き好きに買って使えばよろし、と思っている。

が、ハイブランドって良くも悪くも存在感が強くて、バランスを取るのは難しくないですか。

 

例えば、私がルイヴィトンのど定番、モノグラムの長財布とか使うと

別に変ってほどでもないけれど、昼飯時などに職場の方達と一緒にご飯行ったりしたときに

都度都度「へーこいつがヴィトン持ってんのね」って思われるでしょう。

それがどうしたってことではないんだけど、同じ会社の職員の年収なんておおよそ想像はつくわけで。

なんか変な勘ぐりとかされるのも面倒じゃない?っていうのはある。

 

また、個人的にはすごくいいと思っていても、客観的にはおかしいっていう場面も出てくる。

例えば、ルイヴィトンのモノグラムの中でも、

特にレディースに寄せたマルチカラーっていうラインナップがある。

 

モノグラム柄がカラフルになっていて、賑やかしいやつだ。

 

私はマルチカラーって無駄に元気が出てきそうな感じが好きで、

実は一時期、自分用の財布として本当に買おうとしたことがある。

家族からの猛反対で(まぁわからないでもない)実際には買わなかったのだが

モノ単品としていいということ、個人的に好き、というのとは全く別の軸として

自分のライフスタイルやキャラクターに合っているか?は重要なポイントだと思う。

 

うちの家族の持ち物を見渡すと、ハイブランド品を持っていないわけでもないけれど

全部それってこともないし、あまりこだわりもない。

私自身は、スーツやネクタイ、靴などをちょろっと持っている程度だ。

腕時計もブランド品を使っているわけでもないので、

日常生活ではハイブランド品を身につけることはない。

 

モノについての捉え方が変わってきている

身も蓋もないことを言えば、モノに関しては従来までの「何を所有するか」よりも、

「どんな生き方をしているか」を表現するツールになっているような感覚が個人的には強い。

(余談だが、スピリチュアル界隈的には「風の時代」とよばれる時代に移って数年が経過しており、

所有から有り様への変化は人類に共通する価値観の変化、と言われている)

 

5年10年前なら、スタバでMacBookを開いてる人が珍しい(?)というので、

「ドヤ顔でMac開いてる、意識高い系の人」の意味で「ドヤリング」なんて揶揄されてもいた。

まぁ確かに、ガジェットを持ち込んでいる人は今よりもはるかに少なかったけど。

 

私も前職で、たまに私物のVAIO持参でドヤリングをやることはあったが

スケジュール上、仕事が間に合わなくてやむを得ず、みたいな感じで全然かっこよくはなかった。

だけど、ドヤリングって言葉以上に、「PC持って行ってWIFI繋げば仕事など活動ができる」

という感覚はやはり衝撃的だった。

 

今はもうスタバでPC開いてる人なんて珍しくも何ともない。

それがMacかどうかなんて、誰も気にしていないだろう(実際にWindowsPCの方が圧倒的に多い)。

それどころか、タブレットやsarfaceの方が割合多かったりすることもある。

 

なんてことを気にするまでもなく、今や高校生でも1人1台、手元にスマホを持っている。

 

時代の移ろい、利便性の変化、人との関わり方の変遷などで、

モノをどう扱うか、どう捉えられるかも変わってくる。

 

そういう具合で、今から先って「何を持っているか」よりも「どんな生き方をしているか」が

見られるようになっていくし、その結果論としての持ち物になってくるのだろうなと、私は思っている。

うつ病で休職して2ヶ月と10日で、初めて、いい兆しを感じた

今日の内容は、本当に単なる日記だ。

うつ病で休職している人の、ただの日記。

 

休職期間が2ヶ月と10日経った。

状態は一進一退で、調子の悪い時の方が目立つが

今日、実は割といい調子だったかもしれない。

 

午前中は、やはり調子がよくなかったのだが

いつものように、午前中はやはり身体の状態が良くない。

眠気も酷く、家族が外出してからすぐに寝込んでしまった。

 

朝、外に出た際に眠気を堪えてここで外に出たまま過ごせばどうかとか

一瞬考えたものの、眠気が強烈なので耐えきれずに横になる。

 

先週、妻子が旅行に行く際に飛行場まで車に乗せた際に、

午前中頑張って起きていたのだけど、あの時も、結局耐えきれずに

送った後にコンビニの駐車場に車を停めて小一時間寝たので、

外に出たままだとしても同じようになる可能性はある。

 

通勤していた頃だと、これほど眠気はなかったのだがなぁと不思議には思うけれど、

事実身体が動かないのだから仕方がない。

 

(一応、眠気、と書いているけど、実際の感じ方だと寝ているのに無理矢理起きているような感覚で

単に家族の朝時間に合わせているだけのようなもの)

 

これまでになかった兆し

とはいえ、心の奥底では、「午前中に眠過ぎて寝ているおっさんなんて、異常だろう」というのはある。

これを改善しなければ、復職はままならない。

 

なので、横になる際には可能な限り短い時間で、かつ、身体と頭が動くように…と考えながら。

今日は本来ならば週の始まりである月曜日だし、4月も10日目になる。

そろそろ少しでもいいから前向きな要素が欲しい!と思いつつ身体を横たえた。

 

その後、起きたのは10時38分だった。

布団にくるまったまま、モゾモゾしながら、各種ニュースをざっとチェック。

何とかいけそうだったので11時に布団から出る。

 

熱いお茶が飲みたくなった。

職場から引き上げてきた私物箱から緑茶のティーパックをとり、お茶を淹れる。

(お湯を注ぐだけなので淹れるという程のものでもないが)

 

二度寝しても11時には起きることができたこと、お茶を飲みたいと思えたこと。

これは休職以来初めてのことだった。

…お茶をゆっくり飲みながら、外を見ると春の穏やかな天気。

「もしかして、少し、ダメージが回復しているんじゃないか?」と何となく感じた。

 

ただ、昼前に起きて、自分でお茶を淹れてでも飲みたいと思っただけのことで

それのどこがいいことなのか、と言われれば、全くもってその通り。何も良くはない。

 

だけど、半ば無理矢理のように休職することになって以来2ヶ月ちょっとが経過してきた中で、

根拠もなく「前向きな要素では?」と感じられたことが、初めてかもしれない。

 

午後は妻の用事に付き合う、夕食を作るなど

午後は仕事から戻ってきた妻の用事に付き合い、何箇所かを訪れる。

私は特に用事がないので運転手さん。ドライブみたいなものだ。

これが、1日に1回は外に出ることにも繋がるので、ちょっと億劫だけど、付き合う。

 

途中、スポーツショップに立ち寄った際には、自転車やウェア、靴などを斜め見しながら

「どうせ休職中はやりたいこともないのだから、小銭貯めて自転車でも買うか」など、考えたりした。

実際にそうするかは別として、何かをやってみるかという気になるというのも、最近では珍しくて、

そう考えたことが嬉しかった。

 

食材の余りを消化するために、晩御飯にはカレーを提案し、私が作った。

カレーなら、私でも作れるし、休職していて負担をかけているから、できることくらいはやろうと。

 

アフター5は(今の私にはアフターでも何でもない、ただの5だが)妻子のTV、ゲームの音が混じり、

さすがにうるさかったので、イヤホンをつけて音楽を聴きながらカレー鍋を混ぜていた。

酒は今日も飲んでいない…

 

20時30分過ぎた頃に、少し気持ちが落ち着かなくなり、薬が切れてきたのかなという感じがした。

週末に押し入れの掃除などをやっていたため、可燃ゴミが45L袋で5袋たまっていたので、ゴミ出しをして

寝る準備をして、今ここ、だ。

 

根拠や理屈はいい、前向きに捉えられたことが嬉しい

今の私は、うつ病心身症適応障害、などで休職していることになる。

いい事よりも悪いことの方が多く感じられる。

それは状況を考えれば当然そうならざるを得ない。

 

職場という戦場最前線で、壊れた傷病兵だ。

 

だけど、今日1日は、そういえば、仕事のことや職場でのことなどを思い返すことがなかった。

あいつが嫌だ、こんな辛いことがあった、みたいなことをそういえば考えなかったんだ。

 

お茶を飲むだの、外出している時に何かをやろうかなと考えたりだのという、どうでもいいことばかりだが

どれもこれも、全て最近ない感覚で。

はっきり言って、確かさは何もないんだけど、ただ、いい感じ?に自分が捉えていたこと、

そのいい感じっぽさが寝るちょっと前まで続いていたことだけで、嬉しかった1日だった。

 

何もしていない、何も改善はしていない、状況は変わってはいない。

だけど、自分が自分のことや周囲のことを、前向きに捉えているっぽい感じになっていたことだけで

今は十分じゃないかなって思っている。

 

こんなこと書きながら、明日(を待つまでもなく今夜これからだったりするかも)からも

まだまだ、かなりの波があるのだろう。

このまま超順調に回復する!というのは難しい話だというのは何となく想像がつく。

どうせまた自己否定や希死念慮にしばらくやられたりもする。

 

そういうのも全部まとめて、とにかく今日はいい兆しが見えたような気がした1日だったということは

私の中では事実なので、明記しておく。