健康のためなら、死ねる

黄昏が綴る、日々の雑記

一宿一飯の恩義

最近の私ときたら、本当に何もかも調子が良くなかった。

 

1月31日にどうしても職場に足が向かず、有給休暇で休んだ。

翌2月1日には心療内科へ通院し、本部人事課とも協議の上、休職が決まった。

以来ずっと仕事を特別休暇で休んでいる。

 

休んでいる間は、ほとんど寝ている。

起きてご飯を食べている以外は寝ているようなモノだから、我ながら凄く極端だなと思う。

 

人生2度目の精神的な理由での休職。

 

組織人としてはある意味での「終わり」を意味することは想像に難くないだろう。

よりによって、人事異動のある時期の直前でもある。

社内にも味方は多いけれど、ある種のレースからは一旦外れたと思ってもいい。

死ぬくらいならば、思った通りにやってみる

2月初旬に、もう死にたくて死にたくてたまらなくて

その時点では直接の面識はなかったナカムラマコトさんに連絡を取り、

一路、熊本県八代市へ向かった。

SUNABACO八代を訪問するためである。

 

1泊2日の間、本当にお世話になった。

皆さん、基本的に笑顔で楽しい空気がある。

 

お食事もいただき、お宿もSUNABACO八代に泊まらせていただいた。

そのうえ、お土産品もたくさんいただいて帰ることなった。

何から何まで、お世話になりっぱなしだったのだ。

 

私は直接的な相談はしなかったのだが、終始満たされていたポジティブな空気が心地良くて

この世のどこかにそんないい場所があるのならば、死ぬ必要はないよなと思った。

 

死ぬくらいならば、ここに絡めばいいじゃないか。

人は「陽」の気に包まれるべきである

2022年2月4日から5日にかけてのSUNABACO八代訪問。

去年知ってから「いつか訪れたい」とずっと思っていた場所だ。

 

結論を言うと、「なんちゅう最高な場所だ」と思った。

 

ここでは、誰かが誰かを非難しない。他者や他団体を否定しない。

「バッカだなー」と冗談を言い合いながらも、根底にリスペクトがあることがわかる。

人は人と関わる際にプラスの感情で付き合うか、マイナスの視点から入るかのどちらかなのだが、

SUNABACOの方々は、必ずプラスの感情から始まるのだ。

 

一宿一飯の恩義を忘るべからず

さて、ここから多少下世話な話をしていくことになる。

私は食事代、宿代、などを「一切支払わぬまま」八代を後にした。

「おいくらかかりましたか」すら聞いていない。

ある意味では失礼極まりないのだ。

 

雰囲気的なものなので説明がしにくいのだけど、聞くのは野暮っていう場面がある。

今回はソレだなと思ったのだ、で、黙っていた。

 

しかし、していただいた恩義は、返す必要がある。

ソレが浪花節であり、仁義である。

いい大人が知らんぷりをするわけにはいかないのだ。

 

(ここのところを甘くみる人が案外多いのだけど、見てないようで見られている。

人の関わりようで恩義に応えるって非常に重要なのだけど、なぜか自分の都合の良い解釈になってしまいがちなのだ)

 

いただいた親切、ご恩は、しっかりお返しするのが人間本来の付き合い方だと思っている。

 

とはいえね。

1ヶ月前のお支払いを現金で持っていっても、なんだか変な感じになっちゃうでしょ。

他人行儀というか、趣がないというか…

(そういう場面用に商品券っていう事実上現金と同等では?という便利なものがあるんですけどね)

そこで、私は「大変お世話になりました」の意味を込めで美術工芸品を贈ることにした。

 

Apple PowerMac G4 CUBEだ。

 

美術工芸品を寄贈する気持ち

SUNABACO八代は「一般的なプログラミングスクール」らしく

とてもワクワクする場所だった。

 

どこを見ても興味を惹くようなものばかりが集められていた。

そんな「一般的なプログラミングスクール」はSUNABACOだけだ。

 

ワクワクするっていうのが非常に大事なことで、

クリエイティブな発想と行動が加速する場所には、ワクワクする装置がなければならない。

 

めざとい私は、コンパクトMacが本棚の片隅に飾られているのを見逃さなかった。

ベージュ色の古ぼけたコンピュータは、今はもう実用に耐えるようなものではないが

あのフォルムは、何かを前向きに取り組む方にきっとインスピレーションを与える。

 

で、あれば、90年代ー2000年代にPCとネットが一気に市民権をえ始めた頃に、

1年ほどの間だけ市場に現れた伝説的なガジェットは、より多くの人の目に触れ、触ってもらうことで

これからの前向きなアクションに多少なりとも刺激を受けてほしいなと思ったのだ。