健康のためなら、死ねる

黄昏が綴る、日々の雑記

義実家を畳むことになった

義母が介護施設に入所することになり、彼女の持ち家をどうするのか?という話になった。

基本的には妻側の家庭のことなので、私が口を挟むことではない。

 

親族での話し合いの結果、誰も住む予定がないため売却することに決まった。

 

売却と簡単にいうが、即売れるようなものではない。

なにより、義母が生活していたままの状態なので、このままではどうしようもない。

 

遺品整理やリサイクル業者へ依頼すると、どうやらそこそこの値段がするものらしい。

できることなら、不要な支出は控えたい。

 

時折りしも、私は今、休職している。

少なくとも3月末までは。

 

そして、もし、4月から仕事に復帰するということになれば、

そろそろ生活のリズムを整えたり、日中に活動ができるように体を動かしたりなど

対策をとっておく必要が出てくる。

 

そのため、義実家の荷物を空っぽにすることは、私が日々やっていくことになった。

これで数十万円が浮くと思えば楽なものである。

 

ただ、大きなタンスや食器棚は無理なので、家具の中身を全て空っぽにした後は、

業者に依頼するという作戦だ。

 

半月で荷物を全て整理するというのは非常に大変な作業だ。

休職中でもなければ、とてもじゃないがやれる気がしない。

 

まず、明らかに不要と思われる紙資料などを中心にポイポイと捨てていく。

 

義母は非常にきれい好きな方だったようで、随所に籠や空き箱などで荷物類を整理している。

それらを1つ1つ内容を確認して捨てられるものは捨てていく。

 

よくわからないものは、保留の箱へ入れていく。

 

最終的には、荷物が一切ない状態を作らなければならない。

 

今のところ、ちょっと難儀しそうだなというのが、食器類だ。

義実家の家系を辿ると昭和の途中まで寿司屋を経営していたとのことで。

ちょっと見たことがないような大皿とかもある。

 

それでなくとも、親子が住んで暮らしてきた分の食器はある。

昔は盆正月などもれなく親族が大勢集まり、食卓を囲み、大人たちは呑み、

そして準備していただいた寝床に寝る。

(つまり、布団も結構多い)

 

時代の移ろいと、役目を終えつつある空間、と、感じながら

今のところ毎日義実家へ通っている。

なかなか、心理的には辛いものがある。