健康のためなら、死ねる

黄昏が綴る、日々の雑記

小説家になりたかった

私が小さい頃、といっても小学6年生~中学生の頃の話になるが
小説家になりたかった。

ちょっとマセてくると大人の文化を少しづつ触れる機会が出てくる。
大人が見ているものを垣間見せてくれる小説や映画、ドラマ、漫画等が大好きだった。
(アニメが嫌いというわけじゃないのだけれど、当時は野球チームの練習と時間が被るため
アニメはあまり見れなかった)

そして、この頃から考え方で変わっていない部分もある。
世の中にはどうやら目に見えない形での法則性が存在するように感じていた。
法則性は政治や経済に限らず、人間関係であったり、人の幸不幸についても一定のリズムがあるのではないかと思わずにはおれないときが多々あって、そのような因果律とでも言うべきか、禍福はあざなえる縄の如しというか…まぁ、そういった不確かなものについて非常に興味があったものだ。

それを学ぶには進路をどうすればよいのかも全然わからなかったので
それはそれとして、偏差値で輪切りにされたオートメーション的な進路指導に従って進学したものだが…
今でも、それでよかったのかは全然わからない。
多分間違っていたんだろうなとは思うものの、その間違っていた進路を経て今の自分があるし、周囲の人たちがいる。
バタフライエフェクトじゃないが、思考の一部が変わるだけでも今触れ合えない人々はかなり増えるのではないかと思うのだ。

 

2020年初めに、中学高校時代の塾の仲間と当時以来の再会をzoomにて果たす。
それぞれに20年以上分の色々なことがあったわけで、当時はこうだったよねーという話の中で出てきたのが「小説家になる」って言ってたよね、というこっぱずかしい突っ込み。

なんのかのと話が盛り上がり、その場ではなりゆき上、小説を一編書きあげるという約束をした。もちろん、ただの勢いだ。この時点では物語を書いて訴えたい重要なテーマは存在しなかった。


いい大人になった今わかるが、一編の小説を書きあげるなんて、
そりゃあ想像を絶する程のイマジネーションと構成力、形にしていくだけのタフネスさが必要になるだろう。
どれほどに大変なのか、皆目見当がつかない。

今までに小説を書いたことがあるのか、って話にもなるが
そんなに大したものは書いたことがない。
大学時代にほんのちょっと書きなぐった程度だ。
あんなものは小説と呼ぶに値しない。子供のままごとだ。

ボリュームとしては、10万字というのが1つの目安になるようだ。
単純に1章1万字として、10章で10万字。
どういうテーマを伝えるのか、そのためのストーリーの概要、その世界で動く登場人物たち…
単に文字を打てばいいというものではない。

例えば、今までの自分の歴史で、救われなかった自分たちがたくさんいると思う。
その彼らを1人づつ救う作品を作ることができれば…少なくとも自己満足にはなると思う。
高校の途中から勉強がわからなくなって、成績が落ちてきて、授業についていけず。
そんな中で何かしらの助けを受けて勉強ができるようになったらどうだったのだろうか、とか。

たまたま今まで生きてくることができたので、自分が経験しなかったことでもケーススタディができている。
自分以外の誰かの生き方、出来事、事の顛末を断片でも知っていたりする。

 

また、小説を書きあげるということは、大なり小なり「無からコンテンツを作り上げること」に他ならない。
今の時代、コンテンツを構成していく力っていうのは非常に重要だと考えていて、それがどの程度に面白いのかどうかは別として
小説を書きあげることができるというのは非常に大きな能力になるのではないかと思っている。