健康のためなら、死ねる

黄昏が綴る、日々の雑記

うつ病で休職することになったので、とりあえず文章を書く場所を作りました

 

文章が書けない。

 

そこで、制限なく書きっぱなしの場所を作ることにした、それがこのブログ。

 

ほんと、思いついたまま書いて、推敲ゼロ、エビデンスゼロ、正誤チェックゼロのトリプルゼロブログとする。一応、書くたびに、ご紹介はするつもりだけど… 正規のコンテンツとしては捉えないので誰にも得るところはない場所になるかと。

 

内容も方向性合わせなどしない。書きっぱなしだ。

 

noteに責任を持ってアップできる文章が作れない

元々は、noteに定期的に記事をアップするつもりでいた。

ところが自身の大怪我や仕事での事などが色々あり、コンスタントにnoteに文章をアップする気になれない日々が続いた。

最終的には、心身を病んで休職するに至っている。

 

人それぞれ考え方はあるけれど、私はnoteって「最低限コンテンツとして成立したものをアップしたい場所」と設定している。

 

しかし、ここ最近に思い考えることはやっぱりカオスで、どうしても文章を書き切る行動に繋がらない。

全くロジカルではないし、感情的に振れ幅が広過ぎて、誰かに読んでいただくものになり得ないのだ。

 

行動習慣っていうのが非常に大事ではないか?

一応、私は、長年「文章を書く」ということで生計を立ててきた人間(のつもり)である。

ここでいう文章とは、一般的に思いつくような文章から、行政等へ提出する文書であったり社内外のものであったり。

 

2000年3月に自身初のノートパソコン購入以来、「キーボードに向かう」という行動が常にあった人生と言える。それが今、完全に止まってしまっている。

 

思考や感情は渦巻くのだけど、それをまとめる事ができない状態に陥っている。

 

少し話題が逸れるが、今日はたまたまスーツを着ていく予定があった。

スーツを着るのは休職前以来、実に20日ぶりのことであった。

なので、スーツを着る感覚に、すごく違和感を感じてしまった。

 

身支度ひとつでこうなので、休職期間のブランクが空きすぎると考えるととても怖い。

 

自分自身のことを整理する必要性

noteを定期的に更新していくつもりでいたのだが、休職に追い込まれたことで心身の状態がよろしくなくて

とてもじゃないけれどnoteにアップしていいような文章を書く事ができない。

 

休職をしたことによって文章を書く必要がない立場になった。

 

そんなわけで、毎日毎日、ツイ廃以上の事が何もできない状態にあった。

 

例えば会社の先輩からのメールに対して返事を書くことすら、なかなかできない有様である。

 

余談になるが、他の生産的なこともできず、必要最低限の家事程度しかできない。

暇さえあれば寝ているような暮らしだ。

(メンタルを病んで休職すると、最初はそうなりがちなものらしい。私は身体が要求しているのかなと捉えている)

 

私の今の考えや感じ方が唯一残るのはTwitterである。

が、Twitterというのは基本的には流れていくものであり、整理してまとめあげていくタイプのものではない。

 

自分自身の今がどこにも整理されていないような気分。

 

何をやりたいのかとか、何をやりたくないのかとかを整理したい。

休職に至るまでに、客観的にみて何が問題だったのか、どうすればよかったのか、とかを考えたい。

 

お付き合いください

こんな私でも、遅かれ早かれ、休職期間は終わり、いずれどこかの現場へ復帰をすることとなるだろう。

その時になって「行動習慣が止まっていて、何もできません」というわけにはいかない。

文章が書けないということは、自分自身の感性が止まっているような状態になる。

そこそこの年齢になっている私が、感性まで止まってしまえば、もはや生きていくことはできないだろう。

 

休職はしているけど、何もしないままっていうのも考えていなくて。

色々と手をつけたいこともある。

そういうのをなんの脈絡もなく書き残してみたりする。

 

生命維持装置として、付き合っていただければ幸いである。